真のビジョンの効果

 次に何が続くのでしょう?苦難、拒絶、屈辱です!しかし、これは今述べたことと矛盾していませんし、父親の愛の否定でもありません。主イエスが十字架の道を行かれたことは、彼に対する神の愛に決して反するものではありません。まったくそんなことはありません!なぜヨセフは苦しんだのでしょう?ヨセフはどのように苦しんだのでしょう?最初に、彼は自分の兄弟たちから憎まれました。彼は兄弟たちの憎しみを被りました。なぜでしょう?これには二つの面があります。一方において、彼が苦しんだのは兄弟たちが肉的だったからです。他方において、父親を悲しませて辱める道であることがわかった道に反対したからです。これは誤解されずに述べるのが難しいことです。それにもかかわらず、これが正しい立場です。命の霊の法則にしたがって実際に進み続けていて、その中にこの法則が働いているものは、肉性に関する霊的識別力を持つようになります。主の子供たち、御父の家族の中にある肉性に関してもです。そして、そのような識別力があるために、それを受け入れることができず、それを拒否して、神の民の中にある肉性に反対する立場に、必然的に達することになります。そしてそうするやいなや、あなたは追放され、「自分は優れている」と思っていると見なされてしまいます。あなたは絶縁されて排除されます。拒絶されます。嘲りと非難の対象にされます。苦しみに遭います。肉性は暴露されるのを嫌がります。これが理由でヨセフは苦しみました。これが苦難の道です。神の最善のために立つことは、神の最善よりも劣るものに反対することを常に意味します。

 次に、ヨセフにはこのさらに進んだ点があることがわかります。彼の切望はあまりにも気高いものでした。彼の心は王座に向けられていました。彼は統治する生涯を夢見ました。これらの原則は、とても人間的な物語の中に包まれています。主は不自然な絵を描くような御方ではありません。私たちが霊的な諸々の原則を示すためにこれを記していたなら、まったく別の方法で記していたにちがいありません。主は、主なりに、とても人間的な言葉でこの物語を告げます。そして、ヨセフが自分の兄弟たちとのやりとりで通ったこの不幸な道の詳細をすべて私たちに示します。しかし、それにもかかわらず、このとても人間的な物語――ヨセフが最高のもののために立っている間ですら、この物語からこの人のあらゆる欠点がわかります――の背後には、この人間的物語の背後には、諸々の原則が隠されています。これらの夢と、それをヨセフが告げたことの背後には、ある原則があります。ヨセフは神の御旨である王座を見ていたのであり、神と共に最後まで歩み通す人たちのための目的を見ていたのです。王座は、神ご自身から発したこの命のために神が定められた宿命です。この命は、もしそれが自分の道を進むなら、その源に戻らなければなりません。そこから発した方に戻らなければなりません。神に戻ることができる唯一のものは神ご自身の命、神ご自身のものであり、それ以外にありません。この命が与えられているのは、苦難という聖別の過程を通して私たちを王座に導くためです。これがこの命の宿命です。そして、この原則がヨセフを問題の中に巻き込んだのです。ああ、この統治する命、この王座の命、この勝利する命は、何という敵意を引き起こすことか――「お前は確かに、自分は何か特別な者になる、他の誰よりも優れた気高い者になる、と思っている!」。このような言葉で人々はあなたを罵ります。


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