再び主イエスを見ることにしましょう。主イエスには到底できないことがたくさんありました。つまり、神との関係のゆえに、また、神への信頼のゆえにできなかった、ということです。彼ご自身そう述べておられます。「子は自分自身からは何もすることができません」。「私が話す言葉は自分自身から語っているのではありません」。主イエスはすべてを御父から引き出さなければなりませんでした。「父が行われることは何でも、子も行います」。しかし、それ以外のことは何も行いません。ですから、言葉を発する前に、彼は御父を待ち望まなければなりませんでした。働きをする前に、御父を待ち望まなければなりませんでした。ある特定の場所に行く前に、御父を待ち望まなければなりませんでした。「あなたたちは祭に上って行きなさい。私はこの祭には上って行きません……」。これは、その時彼は縛られていたということです。自分を解放して、その祭に上って行くように導く証しを彼は得ていませんでした。それでも御言葉はこう述べています、「兄弟たちが祭に上って行った時、彼も公にではなく隠れて上った」。あの言葉は、同行を欲しない人々を避けるための言い訳、詭弁だったのでしょうか?彼らと一緒に行くのを欲しないで、一人で行きたかったのでしょうか?そのように言うことはできません。それよりも聖い理由を見つけなければなりません。その理由はこうです。すなわち、行くことを御父が望んでおられる、という確証を彼はまだ得ておらず、行くことは御父の御旨ではない、とその時はともかく結論せざるをえなかったのです。しかし、彼らが上って行った時、確証がやって来て、彼は霊の中で解放されました。子たる身分の霊が、「行っても構いません。道に障害物はなく、上って行くべきです」と証しされました。それで彼は行きました。要点はこうです。すなわち、主イエスは御父に対する関係によって、その自発的依存によって、すべては神から発しなければならず自分からのものは何もあってはならないという命の法則によって、まったく制限されていたのです。これが法則です。


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