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 自分たちがどこにいるのか、私たちは理解しなければなりません。さもないと、私たちは追い出されてしまうでしょう。私たちがその中にいる事柄の真の性質を認識しない限り、何らかの方法で悪魔の策略が私たちを追い出すでしょう。この戦いの中にある主の民、この恐るべきものに遭遇している主の民の何人かにとって、最大の誘惑の一つは、主の民の他のものはその領域の中におらず、気楽な時を過ごしているのを見ることです。彼らは決してこの類のことに遭遇しません。そして、彼らは主の愛に大いに満たされています――愛の領域の中に生きている、このような素晴らしい小さな主の民の群れを、あなたは得ることができます――しかし、あなたがカルバリの実際的効果を導入し始めるやいなや、この愛はこの地上の人々の愛のように神の愛ほど大きくなかったことがわかります。戦いが生じて、そこには個人的関心があったことがわかります。それらは、あなたがより大きな関心――主イエスの主権とその血の力――を持つまでは、決してわかりませんでした。そして、主の民のどの群れの中にも、どれほどそこに肉があるのかを、あなたは見い出します。それが現れます。敵が煽動を始めて、主イエスの主権の確立を不可能にします。
激しい戦いの日にこの追加の説明の言葉を述べる必要があることに、私は気づきました。それは、私たちはどこにいて、それは何なのかを、私たちが認識するためです。裏口から出されて排除されないためです。むしろ、あの十字架、あの血は強力であり、十分であり、このことを達成したことを、私たちは認識しなければなりません。また、私たちは立って、抵抗し、すべてをやり抜いた後もなお立って、戦場で勝利者であり続けなければなりません。

 どうか主が御言葉を通して再び私たちの心を掻き立てて、御霊の真の強固さの幾ばくかを私たちの中に注入し、おののき、ためらい、動揺から、私たちを救って下さいますように。


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 次に、この二つの節が共に示していることに注意して下さい。エリヤはカルメル山に上って行き、彼の頭をひざの間に伏せました。ヤコブは言います、「彼が再び祈ると、天が開かれました」。「彼が再び祈った」ことに何と多くのことがかかっていたことでしょう。彼は自分の僕に「行って海の方を見なさい」と言いました。パウロは「目を覚まして祈りなさい」と述べています。「再び七回行きなさい」。エリヤは祈って、こう述べます、「主よ、あの祭壇、あの十字架がこの問題全体を片付けて、この結果を確保しました。私はその上に立ちます。今や、悪の力は砕かれて、主の全き主権が介入しなければなりません」。彼はこの必死の祈りの中で、これに基づいてそこに立っています。彼は自分の僕を見るために遣わします。何も見えません。「エリヤよ、それは無駄です。それに効き目はありません」。エリヤは言います、「主よ、あの血は十分です。私はその上に立ちます。あなたが介入して下さらなければなりません。私はそのために立ちます」。でも、何も見えません。そこで再び――「主よ、私は待ち続けます」。これを七回繰り返しました。全き辛抱強さです。六回ではだめです。何も見えません。エリヤは中断して、「これは効き目がないのだろうか?」と言います。否、七回目になって、遂にこの人が戻って来て「雲が見えます」と言います。それで十分です、「行ってアハブに告げなさい」――信仰はこの小さなものを握って、「間もなくこの小さなものは巨大なものになります」「この天の戦いを祈りによって切り抜けて、この祭壇が確保したものが実現されることになります」と信じます。祭壇はイスラエルの中に神の主権を確保しました。祭壇が偽りの神々を打ち倒しました。エリヤは根気の限りを尽くして、あの血の立場に基づいて、戦い抜かなければなりませんでした。七回彼はじっと待ち、しるしが何もなくても気にしません。

 パウロは言います、私たちの戦いは上なる天においてであり、そこでの祈り、忍耐、警戒による、と――彼は言います、それは神の民のためである、と。たんなる個人的なものではありません。これはからだ全体と関係しているものです。私たちはキリストのからだのために戦っているのであり、教会は天の中に入って治めなければなりません。


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 御言葉は「この領域の中に立って抵抗しなさい」とこう述べています。それには、主の民がこの血の強力な力に基づいてその中に入ることが必要です。こうした雰囲気が周囲にあり、これらすべてが地獄の雰囲気を帯びている時でも、そうしなければなりません。そして、この尊い血を取って、自分たちの戦場は天であることを、祈りの中に勝利があることを、認識しなければなりません。

 肝心なのはまさに次のことです。すなわち、私たちは状況を見たままの額面通りに受け取ってはならず、それを主の普遍的御旨との関連で認識しなければならないのです。私たちは、人間的立場からは決して説明できない、ただならぬ経験の領域の中に霊的に入りました。本質的な点は、私たちは次のことを認識しなければならないということです。すなわち、主イエスの血はそれを対処するのに十分であること、私たちはそれに基づいて中に入らなければならないこと、そうすれば切り抜けられるということです。これはたんに素晴らしい祈りの集会を持つことではありません。これは地獄の軍勢との血まみれの戦いです。これを視野に入れて、これを考慮して、祈りの時に来ない限り、私たちは素晴らしい時を持つかもしれませんが、何も成し遂げられないでしょう。私たちは肉のエネルギーの中に召されているのではなく、この尊い血の効力に浴して、これらのことに遭遇する時、立ち上がって「否」と言うように召されています。


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 何か劣ったものを受け入れるなら、私たちはみな戦いの外に出られるでしょう。「主が私たちに示して下さったのであり、主イエスの主権を普遍的に示すための道具であるキリストのからだとの関連でその中に私たちをもたらして下さったのである」と私たちが信じているものを手放せば、私たちはみな戦いの外に出られるでしょう。私たちは今、その中に信仰によって立たなければなりません。将来、文字通り実際に、彼は来たるべき代々、天を通して、ご自身の教会を通して、あまねく統治されます。現在の戦いはこれと関係しています。なぜなら、敵は知っているからです。教会、キリストのからだは、イエス・キリストが絶対的主権の中で、自分を天から追い出す道具となるよう定められており、予定されていることを。あの男の子が御座に引き上げられる時、サタンは投げ落とされます。この二つは同時に起きます。彼はこれが目的であることを知っています。ですから、からだ全体に対するこの証し、教会の使命に反対し、この実現に反対し、それが意味するすべてのものに反対して、敵はこれに細心の注意を払っているのです。そして、この領域で出会うものに、あなたは他の領域で会うことはありません。

 私たちはどのように切り抜けるのでしょう?私たちの経験は共通しています――私たちは素晴らしい時を求めて祈りの集会にやって来ます。ひたすら素晴らしい時を期待します。つまり、主が私たちと共にいて下さることを期待します。そして、私がその場にいると間もなく、私の上に恐ろしい気配、死の感覚、暗闇が臨みます――祈りによってです!すべてが揺れ動いて、あなたの中から祈りがなくなってしまいます。何が問題なのでしょう?これは主ではなく、悪魔です。愛する人よ、あなたは理解します。自分は天上で何かに出会ったことを。そして、あなたや私の姿勢は尊い血の恩恵の浴さなければならないことを。


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 さて、これはあなたが御言葉の中に辿れることを述べたものです。最初から最後までこれがそうであることを、あなたはご存じです。龍が打ち負かされるのは小羊の血のためです。これは今や主に対する個人的関係の問題ではありません。これは団体的・相関的なことであり、これに神の選びの群れが関係しています。この民はまず第一に、暗闇の権威から解放され、主権者たちや権力者たちが天で占めている地位に着き、霊的にバアルに相当するものを退位させて、天を占領しなければなりません。キリスト・イエスにあってそこを支配しなければなりません。これはまったく別の任務であり、これによりあなたはとても困難な状況の領域の中にもたらされます。

 もしあなたがそれより劣る水準にあるなら、何かを行うそれより低い水準、この地上で主のために何らかの素晴らしいささやかな働き、個人的な働きを行う水準にあるなら、どのみちそれは局所的なものであって、普遍的なものではありません。それは主イエスの主権の領域全体に触れることはありません。あなたはこの同じ戦いには会わないでしょうし、より幸いな時を過ごすでしょう。そこには、もう一方の領域で私たちが出会う、あの戦い、致命的影響はまったくありません。結構なことです。しかし、あなたはこの戦いの領域の外に出て、神があなたを召されたものよりも劣るものの中に陥ってしまったのです。キリストのからだ全体に関わるものの中に入り込みなさい。あのからだにおけるイエスの証し――それは普遍的・絶対的なものでなければなりません――の中に入り込みなさい。そうするならあなたは、人々の中で最も狡猾な者さえも当惑させるよう仕組まれた状況の中に入ります。悪魔の策略の中に入ります。

 使徒が示している武具が、これらの策略に対する鍵です。腰に締めた真理で、あなたは悪魔の策略を対処します。包み隠された嘘を対処します。あなたは腰に帯をして立たなければなりません。帯は力と行動の象徴です。真理の中で、また真理によって、積極的に帯を締めて立たなければなりません。あなたが真理の帯を締めなければ、あらゆる種類の示唆、暗示、誤解、噂やそういったあらゆるものの限りを尽くした悪魔の策略が遂行されることになるでしょう。ですから、どの武具もみな、悪魔の策略のある種のものを対処するものなのです。今あなたはあの領域の中に入ります――これが私が強調したい点です。


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