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これまで当ブログで柘植不知人著「神の僕の生涯 ペンテコステの前後」を第二十七章まで公開してきましたが、残りの

 ペンテコステに伴う証し
 第二十八章 落合伝道館に関係せる神癒の実例
 第二十九章 各地聖会に顕れたる御行(一)呉、広島
 第三十章 各地聖会に顕れたる御行(二)姫路、泉尾、粉濱、尼崎、京都
 第三十一章 各地聖会に顕れたる御行(三)山陰、名古屋、飯田、千代
 第三十二章 医家の見たる神癒

については、後日本館の方にまとめて掲載します。それまで今暫くお待ち下さいますようお願いします。

管理人


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四、死と甦りの奥義

 別府べっぷに於いて遺言せられたうちにも、私が今日まで誤解や迫害を受けて来たことが何のためであったか、この事が分かるようにそのあかしを立てて行ってくれと申された。先生の生涯は踏まれ、蹴られて、そのうちに十字架を負うて忍び通して終わりとなった。之は必ず神が明らかになして報い給う日が来る、必ず多く実を結ばせ給う日が来る。主イエスはそのはんを垂れていますのである。

 その真理を味わい、その意志をまっとうし得んために先生の説教の一節をここに挙げ置くことにした。

『誠にまことに汝等に告げん一粒の麦もし地に落ちて死なずばただ一つにて在らんもし死なば多くの実を結ぶべしその生命いのちを惜しむものは之をうしない其の生命いのちを惜しまざる者は之を保ちて永世かぎりなきいのちに至るべし人もし我に仕えんとせば我に従うべし我に仕える者は我が居る所におらん人もし我に仕えれば我が父は之を貴ぶべし』(ヨハネ十二・二十四~二十六)。


 我々は本当に一粒の麦として選ばれたのである。種そのものが如何どうするのでない、蒔かれた所に落ちてさえればいのである。小さくてもいた所に蒔かれんとするから難しくなる。蒔いた上から土をかけられ、見てもくれない。事実死んで埋められ、一度ひとたび失われてしまって、誰一人知っても見てもくれないのに、そこから芽が出て生長し花が咲きを結ぶに至る。

 又種のうち艶色みばえいものはない。果実いものほど艶色みばえがない。土をかけられ踏みつけられるが当然なのに、い所に蒔いてくれんか、少しは頭を出して置いてくれと言う。頭を出して置けば枯れてしまう、地に落ちるに艶色みばえい種にならんとする、間違いも甚だしい。種は艶色みばえがないのが本当である。

 この種のうちには驚くべき材木があり、林檎りんごなしがある。霊眼の開けているものは種を見て侮りはしない。目が開けないものは分からない。我々には朽ちざる永遠保つところの神の生命いのちの種が蒔かれておる。アレがクリスチャンになったのかと馬鹿にされる。馬鹿になって死んだ状態におる時に、芽が出て花が咲き、香りのあるとなる。そうすれば、あんなになりたい…霊のを食うて、次第に信者が出来ることになる。されば種は蒔かれた所に、ヂッとしておることが大切である。種がいのだから、もっといところに蒔いてくれと言うから事が難しくなる。骨を折らんとするからいけない。

 主は天から暗黒の世に馬槽うまぶねの中に蒔かれ、世から侮られ、捨てられ、遂に十字架に埋められ下さった。そして三日目に甦り、ペンテコステには大変な芽が出た。五十日目にアレだけが出来た。遂には世界を圧倒する福音が伝わった。蒔かれた所にヂッとしているのを嫌うものがあるが踏み付けられるから芽が出るのである。ダカラ踏み付けらるる時に喜ぶべきである。

 二十五、六、『その生命いのちを惜しむものは之をうしない其の生命いのちを惜しまざる者は之を保ちて永世かぎりなきいのちに至るべし人もし我に仕えんとせば我に従うべし我に仕える者は我が居る所におらん人もし我に仕えれば我が父は之を貴ぶべし』我々地上に幾分生命いのちを残して置けば芽の出る時は来ない。全く世から失われた其の時…ドンな位置、ドンな所に置かれ様が、蒔かれた所、暗い所、苦しい事があっても、辛抱している、事実死ぬる時、さかえが顕れる。『人もし我に仕えんとせば我に従うべし』従う事と働く事とは違う。主は十字架まで一言も言わず、踏まれ、嘲られ、殺されつつ文句を言いなさらなかったのである。ドンな位置ドンな境遇でも黙って通る其の時に、芽が出るのである。


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三、説教

 地上に於いて何が貴いと云うても聖霊に満たされたる器よりも貴いものはない、万民の深き願いは罪の力より救い出されて其の魂が生かされ、癒され永遠の救いをまっとうせんことである。

 柘植先生は誠にその人であった。内はこの群れのため外は世界の民に油を注ぐ器であった。先生に聴く者は皆生かされ、癒されて『私の多年の願いはこれであった』と真に満足した者が幾万あったか知らない。

 群れはますます膨大し本年は世界巡回を企画し居られ、又幾多の働きを中途にして俄然がぜん天の召しをこうむらる、主よ聖旨みこころを示し給えと祈った。

 先生はこの世の荒波に打たれ、逆境より逆境、多難たなん不幸ふこう波瀾はらん曲折きょくせつ浮沈ふちん盛衰せいすいきわままりなく、遂に十字架のもとに来たって旧世界はことごとく去りて新しくせられた。

 先生の旧生涯を見ると此の世と自己じみよりづるものはことごとく敵であって其の果ては行き詰まりと亡びであることをあかししている。又十字架によって如何なるものも、聖言みことばの通り極端きょくたんまで救われ、何一つとして解決のつかないものはないことを示している。更に甦りて現存し給う活けるキリストに在って全備ぜんびすることが出来る。何一つ欠くる所のないものであることを顕している。先生はこの三大事の証人あかしびとであった。

 もしそれ先生は生来の何ものかあって用いられたというなら、自己の能力ちからによりて何事かなしたというなら、更に地につける宝庫を発見して人を恵んだというなら、我等は失望して仕舞うよりほかはない。

 しかし先生の御生涯ほどの苦難があっても、否それ以上であっても、ことごとく新たになし得るキリストとその十字架には今も変わりはない。ハレルヤ、感謝でないか。

 私は先生の召されたことによりて少しも当惑まどいはない。先生の使命は明らかである、即ち主エスの三年間の御生涯に裏書きをなして我等の目前に之を示して置いて下さった。即ち『真理まことのためにげしめんとて汝をおそるるものに一つの旗をあたえ給えり』とは此の事である。標準を立て寸法を定めてくださったのである。召さるるに当たりて群れの基礎は出来ている。ただ一致して祈り我が足跡あしあとに続いて歩んで行けばいとねんごろに遺言せられたのであった。

 又追想して見ればパウロの如く益ある事は残す所なくことごとく宣べ伝えられてある。先生は昨年の大患だいかんの時すでに地上の人でない筈であった。がなおそれでは弟子らが迷うてはならぬから死の中より立たしめられて主エスのの四十日間の如くかさがさねんごろに教えられた。汝等今知らずのちこれを知るべしとの御言みことばの如くおぼろに聴いていた事も思い起こして益々ますます明らかになって来た。ただ感謝のほかはない。

 或る人は先生の公の生涯が余りにも短かったと思うであろうが。なるほど外なる世の人のためには一日でも長からんことを願うべきであるが、我等弟子等のためにはこれが益である。と云うても御長命ごちょうめいを願わんというのではない。先生自らも共に居りたかったに相違ない。が何故なにゆえに益であるかならば先生が地に居らるるなら昔の弟子の如く肉体の人にのみ頼りて信仰によって生き、活けるキリストにのみ信頼せないからである。先生一人で如何に長命ちょうめいでもせわしく働いても肉体には制限がある。此の地の叫びにことごとく応ずることは不可能である。多くの弟子達に同じ霊を注いで広く栄光を顕したいのが神意しんいでなくてはならぬ。

 全能の神に癒し得ぬ道理がない。全智の神に間違いはない。愛の神が我等に不利益を与えなさる筈があろうか。そんな事は思われない。最善をなしてくださったことを感謝する。又これはむを得ぬことであると諦めるのではない。益であるまされる栄光の顕れるためである。ただその益である神のおぼし召しをむなしくするものは不信仰である。いよいよ信仰一本槍で進むべきである。神は必ず驚くべき勝利を与え給うて其の御計画を成就なし給うことは火を見るより明らかである。

 不信仰を起こして行ける道はない。ペテロの海に沈みかかったと同じことである。ただ心を強くしつ勇め之を離れて右にも左にも曲がるなかれ、しからば何処どこに行きても利を得べし。(書一・一~九参照)


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一、臨終

 癒されて熱海あたみより帰られたのち何分なにぶん内外の働きが堆積していたので、無理な働きを続けられた。佐伯さえき先生は幾度となく忠告せられたが、先生の内に燃え上がった殉教の霊は知らずらず、働き尽くして、気がついて見たら、はや危険地帯に進んでいたという状態であった。

 昭和二年三月十八日、別府市に静養中であった柘植つげ先生の御容体ごようたい悪しとのほうを聞き藤村ふじむら師と共に京都を発し、の地にちゃくしたのは翌日午後であった。その前日三宅みやけ師と佐伯さえき先生も到着しておられた。極度の衰弱音声もはや明らかでなかったが握手を求められ泣いて喜ばれた。祈って後『まあ湯にでも入って又祈ってくれるように』と仰せられた。

 再び夕方病室に入って祈った。その時は更におごそかな時の近づけるさまであったが、『東京に帰って一同心を合わせて祈れよ、神は必ず勝利を与えなさる、アブラハムの信仰にならえ、不信を以て神の約束を疑うことなく……信仰をあつくして神を崇め……神は約束し給う所を必ずなしべし。私はこうなっても信仰に動揺はない、神は必ず勝利を与えなさる』と常に語られし如く信仰に満ちてれに語られた。すべての遺言は前日の朝奥さんに語られてあった。実に澄みわたった信仰の戦いを意識のあらん限りつづけられた。全く声もなく目も見えなくなった時にも時々頭をもたげて起きんとするようであった。常に語られし如く信仰の動作をなさるのであるかと思われた。

 その十二時頃より意識はなくなったが安らかに朝に至った。我等は枕辺まくらべにありて先生の一呼吸毎に信仰の息を吹き込まれるように感じた。二十日午前六時二十七分大きな力強い呼吸と共に御別おわかれをした。交々こもごも二の分を与え給えと祈りて主にゆだねた時は臨在に満ち、死でなかった勝利の凱旋式であった。私はしばらくたって御顔おかおを拝した時、戦いの苦痛は変わって平安に満ちみを含んで今にも笑い出しそうであった。

 遺言によりその日午後出立しゅったつ、汽車にて落合おちあいに帰った。沿道の町々にて多くの弟子等は送迎してくれた。先生は伝道のため一ヵ年に一万四千余マイル旅行せられたそうであるが召されても六百マイルの旅をせられた。そして落合に帰りて心を合わせて祈れ、主はさかえを顕してくださると何処どこまでも戦いの人であった。

 ヨセフの信仰、「おのが骸骨がいこつの事について命じたり」との意味が分かった。又かつて信仰を懐いて召された人々は主が十字架にき給うた時に甦ったと云う先生の御話おはなしを思い起こして、なるほど先生は語った如く最後まで歩んだ人であると思った。地の人として涙はとめどもなく下に流るるが神にける我等の望みは燃え上がりてまない。


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よわれアハズの日計ひばかりにすすみたる日影ひかげを十度しりぞかしめんといいければすなわちひばかりにすすみたる日影十度しりぞきぬ(イザヤ三十八・八)。


 前章に記されたる如く驚くべき神癒の栄光を拝せられ、病後の静養中も教役者を交々こもごも招いて指導せられ、魂の解決を求めて来訪する者絶ゆる時なく、又隊全般の事務に個人の通信に忙しく働かれた。そのあいだ病後の回復を求め、努めて運動を始められ、時には十丁ほどの道を走り、或いは浴場の板を両手に差し上げて見るなど過激な運動を試みられたこともあった。

 七月七日より九日まで熱海あたみにて教役者会を開き一じつ三回、長き時は三四時間にわたる集会を一人にてたれた。その猛烈なる活動には驚かぬ者はなかった。そして集会の間、集会後の夜間に個人の応接に多くの時を費やし、気力益々ますます盛んになられたのを見て、一同は喜んだ。霊肉に深き死と甦りの体験をせられた、その証しはおもなるメッセージであった。一同の魂に流れ込むが如く極めて自由で又深きみたまおん働きを拝した。

 十月五日熱海あたみを切り上げて落合おちあいに帰り、第二期戦の序幕として第十六回落合聖会を定め、六日より準備祈祷会を始め、多い時は一じつ四回の集会をなし、祈祷と信仰の霊は驚くべく注がれ、十月十日より十五日まで毎日三回づつの集会を一人でたれた。この時も聖霊のおん働き著しく、幾多の奇跡的神癒の栄光を拝した。

 越えて十月三十日東京を出立して関西、山陰地方の聖会旅行のに登られた。先ず同三十一日より三日間姫路ひめじにて聖会、ここにも神の著しき御行みわざは顕れ、くすしき栄光を拝した。十一月三日四日は大阪粉浜こはまにて集会、十一月七日より三日間京都にて聖会をたれた。更に同十三日より三日間境港さかいこうにて聖会をち、つづいて鳥取、松江、濱田はまだなどにて集会を開き著しき御行みわざは顕れた。その後京都に引き返して数日とどまり、佐伯さえき隠宅いんたくにて癒されたる感謝会を開かれたことは記憶に新しいことである。その日も私とトラクトを書く約束であったが急に思い立ちて一人比叡山ひえいざんに登られた。無論ケーブルカーを利用せられたことであろうがなり長い道を歩行せられたとう。くの如く壮健にせられたことを共に感謝したことであった。

 落合おちあいに帰られても集会に事務に一日も休息の時はなかった。次の聖会は第十七回落合聖会で除夜会より一月五日まで一じつ三回の大集会に奮戦せられた。諒闇中りょうあんちゅうであったが落合聖会中最大最高の大聖会であった。この時も烈しき精神病者の即時癒されたるを初めとして幾多の奇跡的神癒の御行みわざ顕れ、驚くべき純福音の真理は大河の如くに流れで、世界的リバイバルの光景、地上に見ることの出来ない臨在の輝き、変貌山の栄光であった。最後に直接伝道に献身する者の起立を求めたら百七十五名あった。

 病後あまりに過激な働きをつづけて来たので自然疲労を覚え、二月十四日出立しゅったつ別府べっぷに当分静養し、九州地方の働きをもなして落合第十八回聖会を開く予定にしての地に向かわれた。十五日大阪出帆の船を待ち、半日関西地方の教役者と旅館の二階で幸いなる懇談の時があった。カルバリ山上にてサタンのこうべは砕かれている光景を異象まぼろしに示された。今おのが時の幾何いくばくもなきを知って全世界の上に胴体のみ煽動せんどうしているが、あたまのない蛇である。十字架を仰げば全き勝利はすでに成っている。ここに於いて奇跡の行わるるも当然であると語られて別れた。出帆に臨みて佐伯さえき先生は手早くテープを買い求められ、各色かくしょくの色にぎやかに長く引っ張って別れを惜しんだ。何だか遠洋航海の如き仰々ぎょうぎょうしさであったが天国への抜錨ばつびょう帰国となった。

 すでに熱海あたみの時に召さるべきはずであって、万々ばんばんゆべきものでない重態であったが、太陽のるを延ばし給うた神は弟子等を更に堅うして置かねばならぬ必要があってこの一年を延ばし、夜も昼も絶えず涙を流して、益ある事は残す所なく宣べ伝えられた。このあいだあたかも主イエスの甦りの四十日間の働きの如くに思われている。

 幾多の事業を中途にして去られたが、残念この上もないことの一つは著述の方面である。序文にもあるようにペンテコステの指導書を書く願いをっておられたこと、詩篇全巻の講解説教集を出すこと及び十字架中心の真理ともうべき書物を書く予定があった。特に十字架中心の真理は最も重き期待をっておられたのであった。何となれば全生涯に味わった十字架の体験はとても言い尽くされぬ深遠、洪大こうだいなものであったからである。十字架は旧天旧地の終わり、新天新地の玄関である。十字架によって解かれざるものなく、十字架によって満たされざるものなし。ああ十字架なるかな、十字架なるかなと叫ばれたことがあった。


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