午後三時頃、イエスは大声で叫ばれた、「エリ、エリ、レマサバクタニ?」(「わが神、わが神、どうして私を見捨てたのですか?」という意味である)。(マタイ二七・四六)


 神を賛美せよ。イエスは私たちのために死の陰の谷を通って下さった!そして、イエスにとって、これは他の誰よりも陰惨なことであった。自分は神に見捨てられた、と彼は感じた。それでも、見捨てられた状態にあっても、彼はなおも「わが神!わが神!」と叫ぶことができたのである。

 見捨てられたかのような時、「自分は愛する主から見捨てられた」という感覚に流されてはならない重要性を、あなたは理解しておられるだろうか?私たちの救い主は、「エリ、エリ!(Eli、Eli!)」と叫ばれた。このヘブル語は「エル(El)」と「イ(i)」から成っており、「エル」は「神」、「イ」は「私の」を意味する。「イ」は単なる一点一画として記される。それでも、この小さな点により、イエスは御父の心に通じる紐を握られたのである。一粒のからし種のような信仰について考えよ。そして、主の約束にしたがって、そのような信仰により何が達成可能なのかを思い出せ。

 深い苦しみの中、イエスは戦い抜いて信仰に到達された。そうすることにより、彼は救い主になったのである。それゆえ、私たちは「罪人たちからのこのような抵抗を忍ばれた方のことを思」わなければならない。「それは、あなたたちが疲れたり、落胆したりしないためです」(ヘブル一二・三)。イエスは死の谷を通り抜けたので、私たちをも導いて通り抜けさせることができる。「たとえ死の陰の谷を歩む時も、私はいかなる悪も恐れません。あなたが私と共におられるからです。あなたの杖とあなたの竿、それが私の慰めです」(詩篇二三・四)。

 重荷を負った私たちの良心は、彼の慰めを私たちから奪うことを欲する。それで実に辛くなるおそれがある!しかし、それでも、キリストは私たちのために血を流して下さった。それゆえ、たとえ良心にやましさを感じたとしても、彼を手放さない限り、勇気を失う必要はもはやない。「あなたの杖とあなたの竿、それが私の慰めです」。何という杖、何という竿に、イエスは私たちのためになって下さることか!

 この地上で巡礼の旅にある間、この道は恐るべき困窮を絶えず通る。イエスご自身の戦いを慰めとして、落ち着いて静かに自分の道を進もうではないか。たとえ、せき立てられ、苦しめられ、多くの方法で攻撃されたとしても。彼は私たちの祝福された望み(テトス二・一三)である。いかなる代価を払っても、十字架に付けられて復活した方にしがみつこうではないか。歩くための杖として、寄りかかるための竿として、彼を取ろうではないか。そして、常に前進せよ。彼は私たちを王国の栄光に導いて下さるのである。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト


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この恵みは、時が始まる前に、キリスト・イエスにあって私たちに与えられました。しかし今や、私たちの救い主キリスト・イエスの現れにより、この恵みは明らかにされています。キリストは死を滅ぼし、福音を通して命と不死とを明るみに出して下さいました。(二テモテ一・九~一〇)


 キリストにより、死からその力が取り去られた。そして、私たちは定められた時に彼を通して死からよみがえる。御言葉はこう告げている、「おお、死よ、お前のとげはどこにあるのか?」(一コリント一五・五五)。

しかし、死はどのように滅ぼされたのか?また、死と不死は実際どのようにして明るみに出されたのか?私たちはみな死 ななければならないし、死の恐怖を耐え忍ばなければならない。それでは今、死にいかなる違いがあるのか?まず第一に、私たち信じる者にとって、たとえ死ななければならないとしても、死はイエスに出会う前とは異なるものである。私たちの救い主は言われた、「私を信じる者は、たとえ死んでも生きます」(ヨハネ一一・二五)。また、黙示録は言う、「主にあって死ぬ死者は幸いである」(黙示録一四・一三)。

 これについて考えると、実際のところ、死を見た者はいないのである。私を信じてほしい。死には死ぬ以上の意味がある。死後、体が傷んでいくとすると、肉体の死の源である魂は一体どうなるのか?

 旧約聖書にはハデス、死者の世界について記されている。その記すところは、楽しい光景ではない。ダビデは言う、「死者の中には、あなたの御名をたたえる者はいません。誰が墓からあなたを賛美するでしょう?」(詩篇六・五)。キリスト来臨の前、死がどれほどあわれな人類の上に死後も力をふるっていたのかを、いったい誰が知っているだろう?

 しかし、キリストにあって、今や状況は変わった――つまり、福音を受け入れた者たちにとって、状況は別なのである。実に、キリストを通して、死に関して完全な変化があったのである。キリストは「死の力を持つ者――すなわち悪魔――の力」(ヘブル二・一四)を滅ぼされた。キリストは死を滅ぼして、命と不死をもたらされたのである。

 それでは死とは何なのか?私たちは確信をもってこう言うことができる。主にあって死ぬ者は、死の力をこの地上で経験するだけであり、彼岸の世では経験しないのである。実に、死を通して、命と不死が私たちに臨む。まさにこの地上の光が消え去る時、光――天の光――が私たちに臨む。それゆえ、私たちは言うことができる、「死よ、私はもはやお前とは関係ない。お前はもはや私を苦しめ、困らせることはできない。私はお前から自由である。もっとも、依然として復活の日を待つ必要があるのだが」。

 イエスは体においては死に渡され、霊においては生かされた(一ペテロ三・一八)。死はもはや彼の上に力をふるうことはない。キリストにあって死ぬ者の上に、死はもはや力をふるうことはない。たとえ、復活の日を待たなくてはならなくても。私たち主に属する者は、目を閉じて死の力を打ち破った偉大な勝利者を見る時、喜ぶことができる。去り行く魂が来たるべき命を勝利のうちに握るさまを、私たちはみるだろうし、私たちの周りの人々も見るであろう。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト


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なぜなら、私はこう確信しているからです。死も命も、御使いも悪鬼も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。


 パウロはこう記している。いかなるものも、たとえそれが悲しい、人を動揺させるものや、困惑させるものだったとしても、神の愛を私たちに疑わせることは決してないはずである、と。神の愛は岩のように堅固であり、不動である。私たちを神の愛から引き離せるものは決して何もない。

 この御言葉の核心は、「私は確信している」である。この確かな望み、キリストにより神に信頼するこの揺るぎなき信頼は、決して取り去られるおそれはない。キリストを通して、私たちはこう確信する。何ものも私たちに神の愛を疑わせることはできない。どれほど多くの艱難が私たちに降りかかったとしても、キリストと共に苦しめば苦しむほど、私たちはますます彼の愛する子供となるのである。これを確信することが信仰である。

 こういうわけで、誰でもキリストを正しく知っている人は、特にその十字架を知っている人は、パウロと共に言うことができる。私が生きるにしても死ぬにしても、神は私を愛しておられると。サタンの使い、支配者たち、暗闇の軍勢が私に敵対していたとしても、神は私を愛しておられる。たとえ私が神の敵の攻撃を受けていたとしても、神は私を愛しておられる。しかるべき時に、神は敵どもを対処して下さる。それでも、神は私を愛しておられる。私が今の艱難に遭っていたとしても、将来に艱難が待ち受けていたとしても、上や下からの軍勢の攻撃を受けていたとしても、神は私を愛しておられる。物事や人が私を害することを欲し、実際に害していたとしても、私は確信をもって、「神は私を愛しておられる!」という事実を固持できるのである。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト


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それゆえ、私たちは常に確信しています。そして、体にある限り、主から離れていることを、承知しています。なぜなら、私たちは見えるものによってではなく、信仰によって生きているからです。私たちは確信しています。言わば、体を離れて主と共に家にいることの方が望ましいのです。ですから、体にあっても、体から離れていても、主を喜ばせることを、私たちは目標にしています。(二コリント五・六~九)


 誰もが達するべき地点がある。その地点とは、救い主のもとに平穏さと静けさの中で一人で来る地点である。また、ますます信頼して救い主に目を向けることができる地点である。それは、別れの時が間近に迫っても、彼との合一に曇りが生じたり、乱されることがないためである。世のものをますます手放せるようになるにつれて、すべてを静かに受け入れることを学ぶ時、イエスはますます近づいて下さる。

 体にある限り、私たちの関心事は、救い主が間もなく全人類の苦難を憐れんで下さることでなければならない。生きてそれを見ることができるかどうかにはかかわらず――たとえそれが自分にとってより多くの働きを意味したとしても――これが私たちの関心事でなければならない。それゆえ、貧しい者となるようにせよ。主の来臨に焦点を置き、思いやりをもって待ち望み、救い主が間もなくすべてを変えて下さることを切望せよ。これに身をささげることができるなら、あなたは素晴らしい任務を得る。あなたの溜め息は空しくない。これはまた、あなたのために天に場所を備える。天でのあなたの任務が何であれ、これによりあなたは役に立つ者となる。救い主になおもなすべき御業がある限り、あなたには必ず任務がある。

 衰弱しつつあったとしても、自分が救い主のものであることを確信せよ。これにより、あなたは慰めを受けるであろう。そして、耐え忍ばなければならない困難が依然としてたくさんあるにもかかわらず、救い主はあなたに聖なる喜びを与えて下さるであろう。自分の救い主を切望して、「この苦難を短くして下さい」と求めること、あるいはむしろ、「私をすぐに整えて、何ものも凱旋帰還を邪魔できないようにして下さい」と求めることは、まったく結構なことである。これが、あなたのために祈る私の祈りの目的である。これほど多くのものをあなたに与えて下さった愛する救い主は、自分の分を果たして、憐れみをもってあなたに会って下さる。「神を愛する者たちの益のために、万事は共に働きます」(ローマ八・二八)。あなたが天に着く時、主の諸々の道の素晴らしさにあなたは驚くであろう。

 「自分には救い主に仕える機会がほとんどなかった」と思うなら、思い出せ。キリストご自身、私たちのための弁護者であり続けておられるように(一ヨハネ二・一)、永遠においても戦士たちが必要なのである。あなたは自分の任務を得て、その任務の中で喜ぶであろう。ただ堅く立って、自分を引き止めるおそれのあるものをすべて取り除いてもらえ。もしあなたが御旨に喜んで服するなら、神の霊はあなたの内に働き続けて下さるであろう。神の慰めは、まさに父たる御手の中にある。あなたが最後の息を引き取るまで、どうかキリスト・イエスにある神の恵みがあなたと共にありますように。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト


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それゆえ、私たちは落胆しません。私たちは、外面的には衰えていきますが、それでも内面的には日毎に新しくされていきます。なぜなら、私たちの軽い一時的な数々の困難は、遥かに重い永遠の栄光を、私たちのために実現しつつあるからです。ですから、私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。なぜなら、見えるものは一時的であり、見えないものは永遠だからです。(二コリント四・一六~一八)


 あなたは天に向かって、救い主に向かって進みつつある。悲しみと涙に満ちたこの世にとどまっている他の多くの人々と比べると――たとえ彼らが健康だったとしても――あなたは羨望の的である。その一方で、まだこの地上に生きている間、天にあるあなたの嗣業を十分に活用せよ。不機嫌になったり、悲しくなってはならない。しかし、主にあって喜べ。主は永遠にあなたを愛して下さる。感謝の心を持ち、主が自分の魂を準備して整えて下さったことを主に感謝せよ。

 もしかすると、あなたは苦難を少しばかり長く忍ばなければならないかもしれない。戦いがますます困難な辛いものになるのではないかと、あなたは恐れるかもしれない。しかし、心配してはならない。見えるものにではなく、見えないものに目を留めよ。幼子がそうするように、一日ずつ受け入れることを学べ。幼子は次の瞬間のことしか考えず、他のことは何も心配しない。永遠と比べるなら、あなたの数々の試練は軽い一時的なものである。あなたはまったく幼子のようにならなければならない。これが救い主が望んでおられることである。なぜなら、救い主は子供たちしか用いることができないからである。

 どうかこれについて徹底的に考えよ。無にすぎない者になること、罪人の立場に立つことを心がけて、救い主の恵みだけを求めよ。こうすることによってのみ、依然としてあなたに逆らい立つおそれのある諸々の負債は帳消しにされる。完全に彼の恵みの中に沈み込むなら、変わることのない喜びを見いだすであろう。ごく小さな邪魔物さえも明るみに出されて、取り除かれるであろう。これにより、あなたの痛みは和らぎ、あなたは多くの益を受けるであろう。その時、あなたはあなたの救い主に向かって、「あなたは本当に良い御方です」と言うことができるであろう。すべてを聖霊の静かな支配に委ねよ。聖霊は、あなたや私よりもよく話すことができる。信じよ。神があなたのために備えて下さった目標は、凱旋帰還なのである。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト


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