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キリストとの個人的な結合による救い

 キリストの人格は、私たちの救いと密接な関係にあります。私たちは、信条を奉じ教理を信じて救われるのではなく、一人の御方を受け入れることによって救われます。「御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持ちません」、「今や、キリスト・イエスにある者は罪に定められることがありません」。私たちと主イエスご自身との関係が、私たちの運命を決定します。イエス・キリストこそ、罪深い人々に対する御父の賜物です。その賜物を受け入れるなら、私たちは神との交わりの中に入れられ、贖いのすべての恩恵にあずかります。ちょうどアダムが堕落した人類の生ける個人的なかしらだったように、キリストは贖われた人類の生けるかしらです。「なぜなら、アダムにあってすべての人が死ぬように、キリストにあってすべての人が生かされるからです」。

私たちのいのちであるキリスト

 私たちのいっそう深い生活も、キリストご自身との結合によります。使徒はこれを崇高な逆説で表現しました、「私はキリストと共に十字架につけられました。それにもかかわらず私が生きているのは、私ではなく、キリストが私の内に生きておられるのです。そして、私がいま肉体にあって生きているそのいのちを、私を愛し、私のためにご自身をささげて下さった神の御子の信仰によって生きます」。聖潔は徐々に達する個人的品性ではなく、主イエスとの結合です。その結合はとても完全で親密なものなので、主はそれをぶどうの木とその枝々のたとえで描写して、「人が私の中に住み、私もその人の中に住んでいるなら、その人は多くの実を結びます。私なしでは、あなたたちは何もすることができないからです」と付け加えられました。私たちは、聖潔の高嶺にのろのろと骨折ってよじ登る必要はありません。聖なる方ご自身を受け入れればいいのです。彼は私たちの中に住んで、彼ご自身が到達した恵みと栄光の高嶺に私たちを引き上げて下さいます。「キリストは私たちに対して神の知恵となり、また、義と聖と贖いとになられました」。私たちがなすべきことは、道徳的教養を求めてもがくことではなく、彼を受け入れ、彼の中に住み、彼ご自身の卓越性、彼ご自身の性質、彼ご自身の恵みを毎日一歩ずつ私たちに移していただくことです。


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キリストご自身

 私たちは彼の生涯の物語を読む時、その素晴らしい御業と御言葉の背後に、生ける方ご自身がおられるのを見ます。彼の人格はあまりにも高いため、不信仰な輩ですら「最も説明しがたいのは聖書ではなく、聖書の中のキリストだ」と言わざるをえませんでした。今まで、キリストほどご自身のことを多く語られた方はいません。「私はいのちのパンです」、「私は世の光です」、「私と父は一つです」、「私なしでは、あなたたちは何もすることができません」というキリストの御言葉は、ごく自然で威厳があり、彼の性格と人格にぴったりです。そのため、畏れと崇敬の念をもって、私たちはこれらのキリストの御言葉に耳を傾けずにはいられません。私たちは、彼が利己心なしに常に舞台の正面に立つ権利を持っておられること、また、彼ご自身は彼が啓示されたすべての真理や彼が成就されたすべての御業よりも偉大であることを、本能的に感じます。それだけでなく、その人格は今もなお生きて現存しています。「見よ、私は毎日あなたたちと共にいます」、「見よ、私は永遠に生きている者である」。彼はガリラヤの日々と同じように、あらゆる世代を通じて現実に歩まれます。彼はキリスト教のかしらであるだけでなく、心臓でもあります。彼は「きのうも、きょうも、いつまでも同じ」です。

彼の無縫の衣のいやし、
我らの苦痛の床のかたわらにあり。
我らは混み合う人生の雑踏の中で彼に触れ、
かくしてふたたび健やかになりぬ。

さりながら、今なお彼は、
あたたかく、甘く、優しい、身近な助け手。
信仰はなおもそのオリーブ山を想い、
愛はそのガリラヤを想う。



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私の内に住みなさい、そうすれば私もあなたたちの内に住みます。私なしでは、あなたたちは何もすることができないからです。(ヨハネによる福音書一五章五節)


 ある伝道者の話によると、中国人は名ばかりのクリスチャンと真の弟子を区別することを学んだそうです。ヨーロッパに住んでいる人はだれでもクリスチャンと呼ばれますが、彼らはこの名を持つ者たちを彼らの功罪によって見分けることを学びました。「もしこの酔っぱらいや、冒涜的な外人がクリスチャンなら、我々をキリスト教から救いだしてくれ」と言う理由が十分ある場合もしばしばです。しかし、彼らは真にイエスに従う者たちとただの名ばかりのクリスチャンの違いを見い出しました。彼らは前者をクリスチャンと呼ばずに「イエスの民」と呼びます。彼らはクリスチャンという表面的な名前を持つことと、真にキリストに似ることとの区別を教わったのです。

 これは、クリスチャン生活とキリスト生活の相違を示す例証として役立つでしょう。クリスチャン生活は、ある観念や原則を受け入れ、ある形式や儀式を遵守すること以上のなにものでもないかもしれません。キリスト生活は、魂と生けるキリストご自身との結合によって生じる、生き生きとした神聖な経験です。クリスチャン生活は、キリストを模倣し、彼の教えと戒めに従うことを真面目に試みる生活であるかもしれません。しかし、キリスト生活は、イエスご自身があなたの生活の中に受肉される生活です。キリスト生活は、キリストがあなたの内で彼の生活を再び営み、あなた自身の力では決して実現できなかった状態や行いを可能にするものです。

人格

 この思想が示唆する第一の点は人格です。過去の歴史で私たちが最も評価するのは、事件の記録ではなく、人々の生き様です。国家を偉大ならしめるのは、壮観な景色や快適な気候ではなく、国家的特色を形成する人々です。英雄は、伝統、記録、詩、文学、芸術にまさります。私たちが個人生活で最も重んじるのは、家屋や土地、商売や財産、教養や進歩ではなく、友人や愛する人たちです。あなたは、危篤状態にある弱い小さないのちを救うためなら、全世界をも犠牲にするでしょう。あなたの最も大切な宝は、あなたが愛して自分のものと呼ぶ人たちです。

 さらに高い領域でも同じです。宇宙で最も偉大な概念は、人格神の概念です。喜ばしいことに、神は抽象的な観念や原理ではなく、生ける方です。私たちは意識的に神に触れ、信仰と愛の腕をもって神を抱くことができます。クリスチャン・サイエンスの迷妄から救われたばかりのある女性は、イエス・キリストの人格を理解して叫びました、「どうして私は、『キリストはたんなる原理であって人ではない』という彼らの恐ろしい教えの間違いに気づかなかったのでしょう。彼らの教えでは、イエスを愛することは、私の垣根の葡萄を神の原理として愛するようなものです。ああ、イエスが私自身と同じように現実で、私のほむべき救い主であるとは、なんという喜びでしょう」。


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かつては祝福を求めましたが、今は主を求めます。
かつては感情に頼りましたが、今は御言葉に頼ります。
かつては賜物を欲しましたが、今は与え主を欲します。
かつては癒しを求めましたが、今は主ご自身だけを求めます。

かつては苦痛に満ちた努力をしていましたが、今は完全に信頼します。
かつては救いに半分しかあずかっていませんでしたが、今は極みまでもあずかっています。
かつては絶え間なく握っていましたが、今は主が私を堅く握っておられます。
かつては漂ってばかりいましたが、今や私は錨をおろしています。

かつてはせわしなく計画を立てていましたが、今は信頼に満ちた祈りをささげます。
かつては不安げに世話していましたが、今は主が世話して下さいます。
かつては自分の望みが第一でしたが、今はイエスの御言葉が第一です。
かつては尋ねてばかりいましたが、今は絶え間なく賛美します。

かつては働きは私のものでしたが、今からは主のものです。
かつては主を用いようとしていましたが、今は主が私を用いられます。
かつては力を欲しましたが、今は大能の方を欲します。
かつては自分のために労しましたが、今は主だけのために労します。

かつてはイエスを望みましたが、今や彼は私のものであることを知っています。
かつては私の灯火は消えかけていましたが、今は明るく輝いています。
かつては死を待ち望みましたが、今は主の来臨をあがめます。
私の希望は幕の内側に錨を下ろしていて安泰です。


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罪の無いいのち

 このすべての奥義を解く鍵は、この手紙の二つの節にあります。「彼のうちに住む者は罪を犯しません」(ヨハネ第一の手紙三章六節)。ここに聖潔の秘訣があります。私たちの聖潔ではなく、彼の聖潔です。ここでは私たちの完全さについては何も述べられていません。私たちが罪から守られるのは、私たちが彼にすがりついて、毎瞬彼からいのちを汲み出す時だけです。それは内住のいのちです。

 さらにこう記されています、「神から生まれた者はみな罪を犯しません。神から生まれた方が守って下さるので、あの悪しき者は触れることができません」(ヨハネ第一の手紙五章一八節)。ここで再び、この同じ真理が別の言い方で表現されています。私たちの内に住んでおられる神のひとり子は、私たちを罪の力とサタンの攻撃から守って下さいます。私たちはちょうど、一枚のガラスによって猛禽から隔てられている小さな昆虫のようです。悪魔がたびたび攻撃しても、「あの悪しき者は触れることができません」。

 これに関連した節がもう一箇所あります。「神の御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持ちません」。ここに主イエスご自身との結合があります。この結合は霊的生活の源です。ですから、使徒パウロが発見した「あなたたちの内におられるキリスト、栄光の望み」という秘訣は、主の胸に親密によりかかった弟子の秘訣でもありました。どうか神が、これを私たちの生活の秘訣にもして下さいますように。そして、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠のいのち、現されたいのち、十字架につけられたいのち、復活したいのち、内住するいのちの豊かさを私たちに完全に知らせて下さいますように。私たちの主イエス・キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。


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