この時、私はすべてを理解した。十分明らかになった。海は人生の海である――現実の実際的な人間存在である。稲妻はエホバの御座から発する貫き通すような真理の閃光、雷鳴は遠くで鳴り響く神の怒りである。嵐の海の中で悲鳴を上げてもがき苦しんでいる群衆は、何百万もの哀れな売春婦とその斡旋人、何百万もの酔っぱらいと酒業者、何百万もの盗人と嘘つき、あらゆる民族、言語、国々の冒涜者と不敬虔な人々だったのである。

 ああ、その海は何と暗かったことか!ああ、何と大勢の群衆がそこにいたことか。そこには金持ちも貧乏人も、無教養な人も教養ある人もいた。外側の環境や状態はみな違っていたが、「人は神の御前に罪人である」というこの一点においてみな同じだったのである。誰もが何らかの不法に捕らわれてそれにしがみつき、偶像に魅せられ、悪魔的な欲望の虜にされ、底知れぬ穴からの忌まわしい悪霊によって支配されていた。

 「一点においてみな同じだった」というのは本当だろうか?否、二つの点においてである――みな同じように邪悪であるだけでなく、救われなければ、みな同じように下へ、下へ、下へ、どこまでも沈んで行って、同じ恐ろしい滅びに至るのである。

 あの大きな避難用の岩はカルバリを表しており、その上にいる人々は救われた人々であった。その人々が自分の力と賜物と時間を用いる用い方は、「私は罪と死から救われてイエス・キリストに従う者になりました」と告白する者たちが携わっている仕事や娯楽を表していたのである。一握りの熱心な堅い決意を抱く救助者たちは救世軍兵士たち、それから同じ精神を共にする他の僅かな人たちであった。あの力ある御方は「昨日も今日もいつまでも同じ」である神の御子であった。神の御子は私たちの周りにいる死にかけている群衆をこの恐ろしい地獄の滅びから救うために、なおも奮闘しておられるのである。彼の御声は音楽や機械の音、生活の喧騒よりもよく耳に届く声であり、「世を救うために来て、私を助けて下さい」と救われた者たちに呼びかけているのである。

 私の同志たちよ、あなたたちは海から救われて、この岩の上にいる。主は暗い海の中にいて、「私のもとに来て、私を助けて下さい」とあなたたちを呼んでおられる。あなたは主のもとに行くだろうか?

 自分で見てほしい。滅び行く人々でごったがえしているこの波打つ人生の海は、あなたの立つまさにその場所を取り囲んでいる。この幻を脇に置いて、私はいま現実について話すことにする。この現実は聖書と同じように事実であり、十字架にかかられたキリストと同じように事実である!裁きの日と同じように事実であり、それに続く天国や地獄と同じように事実なのである。

 見よ!外見に欺されてはいけない――人々や物事は見かけとは異なるのである。この岩の上にいない者は誰でも海の中にいる。大きな白い御座の観点から人々を見よ。そうするなら、なんという光景が見えることか!神の御子イエス・キリストは、この死にかけている群衆の間にいて、彼らを救おうと奮闘しておられる。そして主はあなたに、「海の中に飛び込みなさい。ただちに私のそばに来て、この聖なる戦いの手助けをしなさい」と呼びかけておられるのである。

 あなたは飛び込むだろうか?すなわち、あなたは主の足下にひれ伏して、自分を絶対的に主の御旨に献げるだろうか?

 かつて一人の救世軍兵士が私のところに来て言った、「私はこれまで主を告白し、祈りと金銭を主に献げてきました。そして今、私は自分の全存在を主に献げたいのです」と。彼女はただちにこの戦いに身を投じることを願ったのである。言い換えると、彼女は主の手助けをするため海の中に行くことを願ったのである。人が海の中で溺れているのを岸辺で見かけたら、その人は邪魔な上着を脱ぎ捨てて、助けるために海の中に飛び込むであろう。それなのに、あなたは依然として岸辺でもたもたしているのか?哀れな滅び行く人々のことについて思い巡らしたり、歌ったり、祈ったりしているのか?恥ずかしがるな。自尊心を捨てよ。他人の意見など気にするな。これまで長い間あなたを妨げてきた所有欲やあらゆる利己的な愛を捨てよ。この死にかけている群衆のもとに駆けつけて、彼らを救え。

 あなたの目に、この波打つ海は暗く危険なものに映っているのだろうか?確かにそうである。まぎれもなく、飛び込むことは困難、軽蔑、苦難にあうことを意味する。誰にとってもそうである。あなたはそれ以上の目にあうかもしれない。死ぬかもしれない。しかし、海の中からあなたを呼んでおられる方は御存知であり、承知しておられる。主はなおもあなたを手招きし、来るようあなたに命じておられる。

 あなたはこれを行わなければならない。引き下がることはできない。あなたはもう十分すぎるほど宗教を楽しんだ。あなたは心地よい感情、心地よい歌、心地よい集会、心地よい展望を楽しんできた。あなたは人間的幸福を大いに味わい、盛大な拍手喝采を受け、大いに脚光を浴びてきた――地上で天を大いに味わってきた。

 それゆえ今、神のみもとに行き、「これらのものにまったく背を向ける十分な覚悟ができました。私は喜んで自分の残りの全生涯を費やして、たとえどんな代価を払っても、この滅び行く群衆に取り組みます」と言いなさい。

 あなたはこれを行わなければならない。今や光があなたの心を照らしており、あなたを召す声があなたの耳に響いている。また、あなたを招く手が今あなたの目の前にある。それゆえ、あなたにはもはや他の選択肢はない。滅び行く群衆のもとに降りて行くことがあなたの責務である。今より後、あなたの幸せは彼らの悲惨さにあずかることであり、あなたの慰めは彼らの痛みにあずかることであり、あなたの冠は彼らの十字架を負うことであり、あなたの天は彼らを救うためにまさに地獄の入口まで行くことなのである。

 あなたはどうされるだろうか?

ウィリアム・ブース



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 次に、私はさらに素晴らしいものを見た。この暗い海の中でもがく哀れな人々の悲惨さと苦悶、危機と冒涜を御覧になって、偉大なる天の神が憐れまれたのである。神は大いに憐れまれたので、彼らを救うためにひとりの大いなる方を遣わされた。私が思うに、エホバが遣わされたこの大いなる方は彼の宮殿から黒雲を突き抜けて一直線にやって来られ、溺れて沈み行く人々の間、荒れ狂う海のただ中に飛び込まれた。私は彼がそこで涙と叫びをもって人々を救うために労しておられるのを見た。ついに彼の大きな苦しみの汗が血となって流れ落ちた。そして彼が苦労して哀れな遭難者たちを抱きかかえ、桟橋に持ち上げようとしておられる間、彼はすでに救われている人々に向かって絶えず叫んでおられた――血のしたたる御手で救い上げた人々に向かって叫んでおられた――仲間たちを救うというこの辛くて骨の折れる仕事のために来て手伝うよう叫んでおられたのである。

 私にとって最も奇妙に思われたのは、彼が呼びかけた桟橋にいる人々の反応である。人々は彼の御声を聞き、少なくとも従うべきであると感じ、「はい」と答えた――人々は彼を大いに愛しており、彼が取り組んでおられる仕事に大いに同情していた――人々は彼を礼拝していたし、あるいは礼拝していると告白していた――しかし人々は商売や仕事、金儲けや快楽、家庭や交際、宗教や宗教談義、本国行きの準備にかかりっきりだっため、自ら海の中に飛び込まれたこの素晴らしい方から自分たちに向かって発せられた叫びに注意を払わなかったのである。いずれにせよ、たとえ人々が彼の叫びを聞いたとしても、それに注意を払わなかったであろう。人々は気にしなかったのである。そのせいで群衆は暗闇の中でもがき、悲鳴を上げ、溺れ続けたのである。

 次に、私はこの不思議な幻で前に見たいかなるものにもまして奇妙な光景を見た。この素晴らしい方が「来て、この仕事を手伝って下さい」と願われた、この桟橋にいた人々の中には、「主よ、私たちのところに来て下さい」と絶えず祈り叫ぶ人々がいたのである。

 「主よ、どうか来て私たちと共にいて下さい。あなたの時と力を用いて私たちをさらに幸せにして下さい」と彼に願う者もいた。

 他の人々は、「主よ、どうか来て、あなたが書き記された御言葉の真理に関して私たちが抱いている様々な疑いや懸念を拭い去って下さい」と彼に求めた。

 「主よ、どうか来て、私たちが岩の上でさらに安心でいられるようにして下さい――私たちの救いは堅固であって、私たちはもはや二度と滑り降りることはないと確信させて下さい」と彼に求める者もいた。他の多くの人々は彼に求めた、「主よ、いつの日か実際に本国に辿り着くという確信を私たちに与えて下さい。というのは実際のところ、不注意に歩んでいて足場を踏み外し、再び嵐の海の中に落ちてしまった者がいることは周知の事実だからです」。

 それで、これらの人々は出来るだけこの岩を高く登ってそこで落ち合うことを常としていた。彼らは「この大いなる方は本国におられる」と思っているので、本国の方を見て叫ぶのである、「私たちのところに来て下さい!来て、私たちを助けて下さい!」と。彼らがこうしている間、彼は下の方におられるのである。荒れ狂う海の深みの中にいる、溺れもがく哀れな人々の間におられるのである。彼は御手で彼らを抱きかかえ、彼らを押し上げようと努め、上の方を見ておられる――ああ!切望しておられるのに、その切望は空しい――彼は岩の上にいる者たちを見て、声を振り絞って呼んでおられる、「私のもとに来て下さい!来て、私を助けて下さい!」と。

ウィリアム・ブース

後編に続く

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 最近私は何度となく旅をしたのだが、その一つの旅の間、私は自分の周りにいる群衆の状態について思い巡らすよう導かれた。彼らは自分の永遠の幸福などまったく気にせず暮らしており、しかも不謹慎きわまりないことに神に対して公然と反逆していた。私が自分の周りにいる数百万の人々を見渡すと、彼らは飲酒、快楽、ダンス、音楽、仕事、心配、政治、問題事、他の数千のことに耽っていた。彼らの多くは無知であり、しかも無知のままでいることを望んでいた。すべて了解している人もいたのだが、彼らはみな冒涜と悪事を重ねつつ神の御座の方へ押し流されていた。このような物思いに耽っている時、私は幻を見たのである。

 私は暗い嵐の海を見た。海の上には黒雲が重く垂れ込め、その雲の間からは時折鮮やかに稲妻が閃き、大きな雷鳴が轟いていた。風は吹きすさび、幾多の波がせり上がっては泡立ち、返しては砕けていた。

 私はその海の中に、浮き沈みしている無数の哀れな人を見たような気がした。彼らは大声と悲鳴を上げ、呪いの言葉を吐きながらもがき、溺れていた。人々が呪いの言葉を吐いて悲鳴を上げる時、浮かびあがって再び金切り声を上げるのだが、その後沈んで二度と浮かんでこなかった。

 すると、この暗く荒れ狂う海の中から、巨大な岩がせり上がって来るのが見えた。その岩の頂は黒雲の上にそびえ立ち、嵐の海の上に突き出ていた。私はこの岩の底部周辺に巨大な上陸用の桟橋を見た。溺れもがく哀れな人々が荒れ狂う海の中から次々と大勢その桟橋に登ってくるのを見て、私は喜んだ。また私は、その桟橋に登って難を逃れた大勢の人々が、まだ荒れ狂う海の中にいる哀れな人々を助けて安全な場所に辿り着かせようとしているのを見た。

 もっと良く見ると、救い出された大勢の人々が、海の中でもがいている哀れな人々を救い出すために、計画を立てたり、梯子、縄、船、その他もっと効率的な手段を考案しているのが見えた。あちこちで、「滅び行く人々を救う」熱心さのあまり、後先考えずに海の中に飛び込む者もいた。哀れな人々が岩を登って安全な場所に辿り着く光景と、懸命に救出に当たっている人々の献身と自己犠牲――このどちらがより喜ばしかったかは私にもわからない。

 私が見つめていると、桟橋にいる人々はとても雑多な集団であることがわかった。つまり、人々は異なる「組」や階級に分かれており、それぞれ異なる楽しみや仕事を持っていたのである。人々を海の中から助け出すことを本職としている人々は、きわめて少数のようだった。

 しかし私にとって最も不思議だったのは、そこにいる人々はみな昔海から救われた人だったにもかかわらず、ほとんど全員そのことを忘れているように見えることであった。いずれにせよ、彼らはもはや海の暗さや危険の記憶に悩まされていなかったのである。

 次に、私にとって同様に奇妙奇天烈だったのは、この人々の目の前には溺れもがく滅び行く人々がおり、その多くは彼ら自身の夫、妻、母、姉妹、子供だったにもかかわらず、彼らはそのことをちっとも気にしていない――すなわち、もがき苦しんで心配していない――ように見えたことである。

 この無関心は無知のせいではありえなかった。なぜなら、人々はこの光景のただ中で生活しており、しばしばこのことについて話しもし、溺れている哀れな人々の恐るべき状態に関する講演を定期的に聴きに出かけていたからである。

 すでに述べたが、この桟橋にいた人々は異なる仕事に就いていた。彼らの中には、儲けるために昼も夜も商売に没頭する人もいた。彼らは自分たちの貯金を箱や頑丈な部屋、そのようなものの中に蓄えていた。

 多くの人は娯楽に時間を費やし、桟橋の横で花を育てていた。布に絵を描いたり、音楽を弾いたり、人々の賞賛を得るために色々な様式で着飾って歩き回る人もいた。

 もっぱら飲食に耽る人々もいた。また、海で溺れている哀れな人々に関する議論や、「彼らは将来どうなるのか」という議論に興味を持つ人々もいた。他方、多くの人は奇妙な宗教的儀式を執り行うことで、「滅び行く人々に対する自分の責任は果たした」と満足していた。

 さらによく見ると、この安全な場所に辿り着いた群衆の中の数人が桟橋に記されている御言葉を発見するのが見えた。その御言葉はさらに高い場所、海の上に垂れ込めている黒雲の遙か上にある場所に案内するものであった。その場所からは、あまり遠くない所にある本国の美しい景色を見ることができた。そしていつの日か、その本国に上げられることを人々は期待していたのである。ここで人々は楽しく時を過ごし、嵐の海の深淵から救い出された身の幸いを互いに祝い合い、本国に連れて行かれる時に与えられる幸いについての歌を歌う。「上にある」と言いさえすれば本国をはっきり識別できると彼らは思い込んでいるのである。

 人々がそうやって過ごしている間、悲鳴を上げてもがく群衆は暗い海のあたりを漂っていた。すぐ近くを漂っていたのである――とても近くにいたので容易に助けられたであろう。しかし、その人々は救われることなく、毎日、荒れ狂う海の中に、一人また一人と滅んで行っただけでなく、群れをなして沈んでいった。桟橋にいる人々はこの滅びの様子をすべて見ていたのである。

 また私が見ていると、その桟橋に一握りの人々が見えた。その人々は前に見た人々であり、なおも救い出す働きに取り組んでいた――ああ、神よ!彼らが大勢いればよかったのに。実に、この労する人々は滅び行く人々のために苦悩しては泣き、労苦しては計画を練る以外にほとんど何もしていないかのようであった。彼らは休みを取ることなく、自分の身近にいる人々に「どうか来て助けて下さい」と根気強く請い求めてたいそう煩わせていた。事実、多くのとても親切な優しい心を持つ人々、またとても宗教的な人々でさえ、「連中は実に厄介者である」と表明するようになったのである。しかし、それでも彼らは進み続け、持ち物をみな費やし、得られるすべてのものを費やし、船やいかだ、引き綱や縄、溺れている哀れな人々を救うために考えうる他の一切のものを費やしたのである。

 時には、同じような働きをする他の人々も僅かながらいた。彼らは自分たちの方法で大いに働いた。しかし、とりわけ私の注意を引いた人々は年がら年中せわしなく、この働きのために恐るべき量の仕事を自らに課し、猛烈な激しい勢いで仕事に当たったので、もっと穏やかな方法で同じような働きをしていた人々の多くでさえ彼らに激しく腹を立てて、彼らを気違い呼ばわりしたのである。

ウィリアム・ブース

中編に続く

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