「勝利者」誌 1911年 第3巻 8月号 初出

 18年前、ある女性の手相占い師が、私の手の一本の線を指さして、「あなたはいつか脳炎にかかるだろう」と言いました。回心した後、占いに関わるのは罪であることを私は学びました(申命記18:10-13)。それ以来、私は誰にも自分の将来を占ってもらったことはありません。
 サタンはこの世の君であって将来のいくつかの出来事を知っており、手相占い師や占い師等を用いて人々に将来を示すことにより、人々を自分自身に引き寄せようとする、と考えるのは間違っているでしょうか?時々、私の手のあの線を見つめようとする誘惑に抗しがたく感じることがあり、それが私をおびえさせます。それはサタンの力であると私は感じており、私はこれから解放されたいのです。


 サタンのいわゆる「予知」は、実際は「計画」なのです。つまり、サタンとその悪霊どもは人を傷つけ欺こうと常に企んでいるのです。サタンが手相占い師を用いる時、あるいは占いのように見える他の方法を用いる時、サタンの悪霊どもは自分たちがしようとしている将来の出来事について語って「予言」します。そして、祈りや他の何らかの方法で邪魔されない限り、それらの事柄を遂行しようとします。こういうわけで、彼らの「予言」は信頼できるものではありません。なぜなら、彼らは自分たちの計画を成し遂げることに失敗するかもしれないからです。

 あなたの場合、(1)あなたは自分の知性を用い、神の真の子供として真理に向き合わなければなりません。あなたは手相占いや占いはどちらの側にあると思っておられるのでしょうか?神の側でしょうか、それとも、サタンの側でしょうか?手相占いや占いは神から出ているのでしょうか?もし神から出ている場合、「預言者」と認められている人々によってなされているでしょうか?預言者だけが神により将来を人々に示すことができます。

 もし手相占いが神からではなくサタンから出ているなら、それをすべて邪悪なものと見なし、手相占い師の言葉にいかなる信頼も置いてはなりません。あなたは手相占い師の言葉に信頼する習慣を培ってきましたが、その習慣は破られなければなりません。ですからあなたは、「自分は手相占いをまったく信じません」と宣言し、自分の思いの中から(i)その会見と(ii)その影響を慎重に取り除かなければなりません。このような拒絶の姿勢を取れば、この件に関するサタンのあなたへの攻撃を打ち破るのに十分でしょう。

 (2)手相占い師の所に行くことにより、無知であったとはいえ、あなたはあなたに対する計画を行う立場を悪霊どもに与えてしまいました。例えば、あなたが手相占い師の所に行ったことはまさに、あなたを欺こうとする悪霊どものたくらみの一部に従うことだったのです。あなたが悪霊どもの提案に従って行った時、悪霊どもは手相占い師を用いて彼らが将来行おうと目論んでいたことをあなたに示したのです。すなわち、「脳炎」という言葉で常にあなたをせかしていれば、いずれあなたを脳炎にすることができることを悪霊どもは知っていたのです。

 ですから、あなたはこの問題をすべて取り除かなければなりません。さもないと、あなたの「不安」はあなたを「衰弱させる」という悪霊どもの計画を成就させてしまうかもしれません。

 (3)あなたに対するサタンの攻撃から完全に解放されるための土台として、あなたはローマ6章の上に立つ必要があるでしょう。(i)手相占い師の所に行くことをと呼びなさい。(ii)ローマ6章を注意深く読み、神の御霊により頼みつつ、6節から11節に従いなさい。自分は「罪に対してまったく死んだ」と見なしなさい。すなわち、あの会見とそのすべての影響に対して死んだと見なしなさい。次に、(iii)あなたの手のあの線を、それを見る「恐れ」が完全に無くなるまで、何度も見つめなさい。

 (4)「衰弱」しない方法を教えて下さるよう神に求めなさい。すべての「重荷」を神に委ねなさい。「心配」を拒みなさい。静かにあなたの義務を果たし、今この瞬間を生きなさい。そうすれば、あの「予言」を通してあなたを衰弱させようとするサタンの計画をあなたは頓挫させるでしょう。サタンのあの「予言」は、それがサタンからであると見破って祈りにより頓挫させるなら、決して実現し得ないのです。

誘惑する者は今や荒れ狂い
私を罪に誘う。
しかし、あなたの守りに信頼し、
主よ、私は屈しません。

サタンに対する勝利
罪に対する勝利を私に与えて下さい。
私をしみのない者に保ち、
霊の中で常に自由であらせて下さい。

エバン・ロバーツ

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「勝利者」誌 1911年 第3巻 8月号 初出

私はこれまで長い間、悪鬼に取り憑かれたある人のために熱心に祈り、勝利者なる私たちの主のすべてに優る御名にひたすら嘆願してきましたが、いまだに何の答もありません。私は答が与えられるまでひたすら進み続けるべきでしょうか?それとも、直ちに答が与えられるための信仰を求めるべきでしょうか?あるいは、どれくらいの期間かは分かりませんが、答が与えられるまで待つべきでしょうか?

 あなたはその人が取り憑かれている理由を知らなければなりません。悪霊が入り込んだ原因を突き止めるなら、それは悪霊を排除するきっかけとなります。悪霊が入り込んだ原因が弱まれば弱まるほど、「憑依」の度合いは軽くなります。「自分の祈りにはまだ何の答もない!」とあなたは言います。目には見えないけれどもかなえられつつある祈りがあること、また、かなえられつつあることが目に見える祈りもあることを、あなたは知らなければなりません。あなたは明らかに後者の祈りについて述べておられます。あなたは、あなたの信仰を強めるために、ダニエルの祈りのように、あなたの祈りは天上で目に見えない軍勢によってかなえられつつあるかもしれないことを心にとめておくとよいでしょう。祈りの中には暗闇の王国に深く触れる祈りがあり、そのような祈りが答えられるには、目に見えない世界での長期間の戦いが必要なのです。この目に見えない戦いについて知らない人たちは、祈りの生活に失望しがちです。「祈りに対する答」の中には、独特な現れを持つものもあります。例えば、あなたが何回か祈ると、目に見えない世界で恐ろしい戦いが始まり、その後、目に見える形で何らかの現れがあります。しかし、それには数ヶ月の祈りが必要かもしれないのです。ですから、あなたは答えられた祈りのしるしを読み取る方法を学ばなければなりません。あなたが祈り始める瞬間、状況は悪化したように見えます。この時、この悪化したように「見える」状況や人は、答えられた祈りのしるしに他ならないことを、あなたは覚えておく必要があります。状況は本当に悪化したわけではなく、ただそう見えるだけなのです。この二つを混同しないよう、あなたはとても注意深くなければなりません。

エバン・ロバーツ

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「勝利者」誌 1911年 第3巻 5月号 初出

今日の霊の「出現」は何を意味するのでしょう?というのは、私は幾つかのクリスチャン家庭でその例を耳にしたからです。これらの出現にどう対処すればよいのでしょうか?

 「出現」は見せかけにすぎません。悪霊どもは物や、死者、生者のふりをすることができること、また現にそうしていることを、あなたは知らなければなりません。この見せかけ、あるいは出現は、この出現を見た人に悪霊が取り憑く兆候です。これは悪霊どもに足がかりを与えてしまった結果です。もし悪霊が少しでも足がかりを得るなら、悪霊はその程度に応じて「取り憑き」ます。暗闇の力のこれらの働きに対抗して祈り、これらの働きとその原因を滅ぼして下さるよう神に求めなければなりません。このような現象が起きる家の人々は、これらの顕現の性質を知らなければならず、それらは悪魔的であることを知らなければなりません。そして、知性と霊の中でそれらに対抗し、祈りによりその場所を悪魔のこれらの働きから清めなければなりません。

 天然の目では見えないものを見る霊の賜物がある、と言っておいた方がよいでしょう。また、悪の力に由来する悪しき状態もあり、その状態のとき人は目に見えないものを見ることができます――この悪しき状態は、精神の機能を手放して受動性もしくは受動的な状態にもたらすことによって生じたものです。一般的に言って、邪悪な顕現を見る人々は――憑依の程度にしたがって――思考力、記憶力、想像力に大きな問題を抱えています。なぜなら、彼らの機能は(その程度は様々ですが)顕現を生じさせる悪の力によって支配されているからです。

 「見る」霊の賜物が働く時、知性を受動的にする必要はありませんし、不活発にする必要もありません。しかし、いわゆる受動的な「悪しき状態」の場合、少しでも知性を働かせるなら視力はなくなってしまいます。神からのものとサタンからのものの違いは、一言で言うと、賜物と状態の違いです。すなわち、サタン的視力の場合、受動的な知性の状態が必要ですが、神の賜物を用いる場合、それと同時に通常の知性の働きを用いることができるのです。「幻」を見る人は誰でも、その幻が受動的な知性を必要とするものかどうか注意深く調べなさい――もしそうなら、その幻をサタン的なものとして捨てることができます。

エバン・ロバーツ

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「勝利者」誌 1911年 第3巻 5月号 初出

(1)人を恐れることから完全に解放される秘訣は何でしょうか?家で自由に話すことができないのです。(2)大声で祈ることは敵を利することになるのでしょうか?

 神に祈って、あなたが人に対する恐れに捕らわれている理由を理解できるようにしてもらいなさい。また、その理由があなた自身によるものであれ、あなたの周囲によるものであれ、その原因(単数または複数)を取り除いて下さるよう神に求めなさい。もしかすると、あなた自身、あなたの霊の中にもっと力を必要としているのかもしれません(エペソ3:16)。あるいは、あなたの魂があなたの霊から分離されなければならないのかもしれません(ヘブル4:12)。あるいは、背後で邪魔しているサタンに対抗して祈らなければならないのかもしれません。この質問の背後には、真の必要、真の問題が横たわっているのかもしれません。悪魔に対して完全に勝利する道は何でしょう?明らかに、あなたは「肉や血」と格闘しています。しかし、実はこの戦いは暗闇の力に対するものであるのかもしれず、この「人への恐れ」が現れるときはいつでも、あなたは暗闇の力に対抗して祈らなければならないのかもしれません。これを試してみて、さらに助けが必要なら再び手紙を書いて下さい。

 あなたの二つ目の質問について。時として、人を静かに祈らせることは敵の策略です。なぜなら、敵の策略の一つは口を閉ざすことであり、こうして霊を閉ざすことだからです。「大声で祈ることは敵を利することである」という思いは、あなたを静かに祈らせるためにサタン自身から来ているものですらあるかもしれません。なぜなら、あなたが敵に対する大きな戦いの中にある時、キリストがラザロの墓で死の君と戦った時そうだったように、あなたは「大声」で祈る必要を覚えるかもしれないからです。パウロもまた、ルステラの足なえに向かって、「あなたの足でまっすぐ立ちなさい!」(使徒14:10)と大声で言いました。霊の力によって発せられた「大声」は、激しい霊の格闘のしるしであり現れです。ですから、敵が大声を消して、そうして霊を抑圧することがないよう、私たちは警戒しなければなりません。語ったり祈ったりする時、霊的活力を示すことを恐れてはなりません。なぜなら、そうすることはあなたの霊が突破して敵を支配することだからです。しかし、この活力が人工的なものや肉体的なものにならないよう注意しなければなりません。

エバン・ロバーツ

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「勝利者」誌 1911年 第3巻 5月号 初出

(a)環境、(b)悪霊、(c)サタン、(d)敵、(e)霊的邪悪さ、(f)暗闇の力に対抗して祈るよう、新約聖書のどこに書かれているのか、と尋ねられています。この立場は聖書的であって、真理と事実とに霊的に合致しているのでしょうか?

 暗闇の力に「対抗して」祈ることは聖書的であり、真理に従っており、クリスチャンの経験からも証明されている事実です。

 聖書とクリスチャンの教会史から、次のことがはっきりとわかります。

  1. あらゆる悪に「対抗」する祈り、あらゆる善に「味方」する祈りがなされなければなりません。

  2. 神は罪とサタンを滅ぼすために、彼の教会の協力を必要としておられます。

 「神に属する事柄」は「霊的に識別」されるものであり(1コリント2:14)、「霊的な」人たちだけが理解することができます。「立つ」、「抵抗する」、「格闘する」(エペソ6:12)、「あらがう」(ヤコブ4:7)、祈りの中で「労する」等の言葉は、解釈するのに霊的識別力と経験が必要です。なぜなら、これらの言葉は、天然の人では理解できない霊の領域における数々の事実を描写しているからです。ですから、この質問をした人に「私は『霊的』だろうか?」と自問させなさい(ガラテヤ6:1)。もし、その人が「霊的」でないなら、その人は使徒が暗闇の力との戦いに関して用いている言葉を霊的な意味で理解することも、解釈することもできません。

 あなたに質問をした人に、この問題をすべて神のもとに持って行ってもらいなさい。そして、これに関するあらゆる真理の中に導かれるよう求めてもらいなさい。そうするなら、その人はこれらの言葉の真の意味を理屈からではなく、神の照らしと人生経験から示されるでしょう。

 パウロの手紙の中でしばしば述べられている信仰の戦いに関する「天然的な」見解や解釈がありますが、それらは天然的な知恵を源としており、十字架に付けられていない「古い人」の一部分であって、聖霊によって与えられる真の霊的知識を受ける妨げになります。しかし、聖霊からこのように教わった霊の人は「すべての事柄を識別します」(1コリント2:15)。

 「格闘する」という言葉について考えてみて下さい。肉体的格闘は天然の領域で何を意味するでしょう?別の人と格闘している人の目的は、敵を投げ倒して、倒したままにしておくことです。これが肉体に対する肉体的格闘です。霊的戦いもまた、暗闇の力を投げ倒して、倒したままにしておくことを意味します。そして、そのためなら利用できるあらゆる手段を用います。この戦いにおいて、祈りは悪魔を投げ倒す一つの要素ではないでしょうか?

 「抵抗する」という言葉について考えてみて下さい――これは肉体対肉体というような肉体的抵抗のことではありません。これは荒野におけるキリストのように、知的抵抗を意味する場合もありえます。キリストは荒野で悪魔の思想に対して思想で――つまり知性に対して知性で――お答えになりました。嘘に対して真理で、誘惑に対して勝利で、聖書に対して聖書で、聖書の間違った引用に対して聖書の正しい引用でお答えになったのです。抵抗することは、体のために知性を用いることによる場合もありえます。悪魔の最初の誘惑にあったキリストがそうでした。誘惑者が「これらの石をパンに変えて、あなたの肉体の必要を満たしなさい」と言った時、イエスは「こう書き記されている」とお答えになりました。

 霊による抵抗もあります。これは物理的力に対するものでも、表明された思想に対するものでもなく、純粋に悪霊の力に対するものです。

 霊の領域では肉体的格闘の余地はありません。なぜなら、その領域では肉体は支配する側ではなく、支配される側だからです*。しかし、知的格闘や霊的格闘はあります。そして、その格闘は体のため、魂のため、霊のため、悪魔が求める何か人の内側や外側にあるもののためかもしれません。

 *祈りは体を正しい地位に置く上で、すなわち、霊によって支配される地位に置く上で重要な要素です。

 人の霊と知性は体を守るため、悪魔に抵抗する上で協力しなければなりません。それは、体が人に罪を犯させることがないようにするためです。

 また、霊と知性は敵から知性を守るため、一つになって抵抗しなければなりません。キリストは宮から飛び降りるよう誘惑された時、霊の剣を用いて誘惑者に抵抗されました。この誘惑は肉体の必要を満たすよう示唆するものではなく、魂から何らかの反応を引き出すためのものでした。

 同様に、抵抗することは霊のためかもしれません。それは悪魔が何を攻撃するかによります。人を守るには、人の全存在――霊、魂、体――が一つになって行動しなければなりません。

 敵に対して抵抗し、戦う、すべての局面において、祈りはなくてはならない武器です祈りがなければ、あなたは抵抗することも、格闘することも、立つことも、持ちこたえることもできません。祈りは霊の敵に対する防御と攻撃の力強い武器です。教会は全体的に言って、悪魔に対する勝利をこれらの方法で経験していません。なぜなら、教会は敵に対抗して祈っていないからです。あなたが霊の敵に対する戦いに従事するようになる時、あなたは敵の存在と敵の力を真に意識するようになり、敵に対して用いる武器の必要を感じるようになります。

 悪霊どもに対抗する祈りについては、「この類のものは祈りと断食によらなければ出て行きません」という主の御言葉の中に示されています。

 1ヨハネ3:8にこう書き記されています、「神の御子が現れたのは悪魔の働きを滅ぼすためです」。しかし、彼は将来、現在、過去、どうやってそうされるのでしょう?悪魔の働きはすべて滅ぼされたのでしょうか?悪魔の働きはどれも滅ぼされたのでしょうか?まだ、滅ぼされるべきものが依然として何か残っているのでしょうか?

 神は罪とサタンを滅ぼすために、彼の教会の協力を必要としておられます。それは、カナン人を滅ぼすのに、神はイスラエルの協力を必要とされたこととまったく同じです。

 キリストは「まず強い人を縛りなさい」と言われました。これは強い人に対抗して祈ることを意味しており、それを含みます。祈り以外にどうやってこのように縛ることができるのでしょう?また、祈り以外の何が縛ることができるのでしょう?

エバン・ロバーツ

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