御言葉:「私が来たのは彼らが命を持つためであり、また、彼らがそれをいっそう豊かに持つためです。」ヨハ一〇・一〇

 これがイエス・キリストのメッセージの新たな調べだった。そのほとんどは、無理解な耳の上に落ちた。いわゆる福音伝道が十九世紀の間なされてきたが、その大部分は依然として理解されないままである。

―キリストは山上の垂訓のような道徳の教師であることは理解されている。
―彼がわれわれの諸々の罪のために死なれたことは、事実として、理解されている。
―彼が問題を行いによる義から信仰による義へと変えて、中心をアラビアのシナイ山からユダヤのカルバリ山に移されたことは、不完全ながら理解されている。

 しかし彼が来られたのは、信じる人に新たな性質の命、昔も今も彼御自身の内にあるまさにその命を与えるためであること――これは理解されていない。

 永遠の命については、確かに多くのことが述べられている。しかし、それは存在の存続――肉体の死という事実にもかかわらず命が存続し続けること――を意味するものとしてしか理解されていない。

 イエス・キリストの教えでは、使徒たちの書き物と同じように、キリストによって彼を信じるすべての人に分与されるこの命は、確かに無限の命を意味する言葉である。しかし、無限性は人の命にすぎないものの特質でもあるので、永遠の命は、質に関して、種類に関して遥かに強調している言葉である。


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これではない二つの事柄

 これは肉と死の全き根絶、自己の消滅ではないし、罪なき完全でもない。自己は忌み嫌われ、信頼を失い、嫌悪され、無に帰された。しかし、この経験の特徴は、年齢や経綸がいかなるものであれ、大いに均一であるため、成就された結果と、それによってもたらされた諸々の段階の両方を、述べることは困難ではない。

 一.この至高の経験の中には、魂に対する神御自身の啓示が含まれる。

 それは神に関する何らかの事柄、神に関する何らかの新しい証し、悲しみや試練に関する何らかの教訓ではない。それは神御自身の行い、神の自己啓示である。この自己啓示により、証しでは決して心や良心に伝達されなかったものが啓示される。それゆえ、自分自身に関する新しい強烈な理解が生じる。

 二.聖書から引用した例は、神のこの啓示の効果についても一致している。

 神のこの幻を前にするとき、人は自己を忌み嫌うようになる。すでに見たように、この効果は大いに絶対的なものであるため、力がすっかりなくなることとして常に述べられている。自己の命は屠られないものの、もはや二度と頼ってはならないもの、神の事柄において決して当てにしてはならないものとして、栄光の中で見なされるようになる。パウロが述べた通りである。「私たちは自分自身の内に死という判決を持ちました。それは私たちが自分自身ではなく、死者をよみがえらせて下さる神に信頼するようになるためでした」。復活の神、新しい不滅の命の神に信頼するようになるためなのである。

 三.この自信の喪失の後に、死んで復活した方の力で満たされることが続くことについても、聖書の事例は一致している。

 畏るべき麗しい幻を前にして顔を伏せた人が、そのまま取り残されたことは一度もない。「私は力を受けた」が不変の証しである。

 四.それから新しい、より高い水準の奉仕が臨む。これとその新たな実り豊かさ――これは幸いな結末である。

 あなたが顔と顔を合わせて神とまみえること以上に、私はあなたのために何を切望できよう?この内なる生活の叙事詩におけるこの最高の言葉があなたのもとに届くこと以上に、私はあなたのために何を切望できよう?どうか神が、御名のために、それを与えて下さいますように。


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これは稀な経験ではない

 この経験を解釈することにより、それはヨブだけに臨んだのではなく、神に大いに用いられたすべての人にも臨んだことがわかる。環境は異なるが本質は同じである――神について理解し、自己の力は無力になり、新しい力と祝福を与えられるのである。

 ――ヨシュアは抜き身の剣を持つ人の足元に倒れた(ヨシ五・一三~一五)。

 ――イザヤは「私はわざわいだ」(イザ六・五~八)と叫んで、清めと再委託を受けなければならなかった。

 ――エレミヤは、主が自分の口に触れて下さらない限り「話せない」ことを学ばなければならなかった(エレ一・六~一〇)。

 ――エゼキエルは、栄光によって跪き、自己の崩壊のうちに顔を伏せなければならなかった。その後、御霊は彼を満たして、主は「私はあなたを遣わす」と言うことができた(エゼ一・二八、二・一~一〇)。

 ――ダニエルは、「私は見た(中略)そして私の容姿の良さは私の内で腐敗へと転じた」と言わなければならなかった(ダニ一〇・五~一二)。

 ――愛されていたヨハネですら、栄光を受けたキリストの幻を前にして、「死人のようにその足下に」倒れざるをえなかった。その後、その「右手」が彼の上に置かれて、彼は「恐れるな」という言葉を聞くことができた。

 今、これがみな意味することを短くまとめたいと思う。まず最初に、これではない二つの事柄である。


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新しい、より高い水準の奉仕

 その後、極めて驚くべきことが起きた。自分自身を忌み嫌うこの人を神は擁護して回復されたのである。

 「主はテマン人エリパズに言われた、『わたしの怒りはあなたとあなたの二人の友に向かって燃える。あなたたちは、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである』。」

 その次に、御存知のように、神はヨブを祭司として、彼を通してでない限り、この三人の非難に満ちた道徳説教者たちは自分たちが怒らせた聖なる神に近づけないようにされた。

 「私の僕ヨブはあなたたちのために祈るであろう。そして、私は彼を受け入れる。」

 ここで基本的に四つのことが述べられているのがわかる。

 ――第一に、神の幻
 ――第二に、自己の完全な崩壊
 ――第三に、新しい、より高い水準の奉仕
 ――最後に、二倍の実り豊かさ

 「そして主はヨブの持ち物を二倍に増された。」

 さて、ここに変わることのない順序が示されていると私は信じる。ここに例外的でない経験が示されていると私は堅く確信する。

 ああ、愛する人よ、われわれは神に関してあまりにも耳で聞きすぎてきたが、神に関するいっそう深い事柄、いっそう親密な事柄に達する必要があるのである。

 われわれは、あの個人的で基本的な神との交友に達する必要がある。それはサマリヤ人たちと共に「今、私たちが信じているのは、あなたの言葉のためではありません。自分自身で聞いて、この方こそまさにキリストであることがわかったからです」と言えるようになるためである。とはいえ、それが及ぼす最初の効果は、この恐るべき自己卑下であり、この完全な自己の崩壊である。

 しかし、ああ、この屈辱の谷は何と幸いな場所であることか。そこに転落した者で、新しい命と奉仕によみがえらない者はいない。しかし覚えておこうではないか。その代価は、自分の内に死という判決を持つことなのである。内なる生活を徹底的に再建することなのである。


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自己の完全な崩壊

 然り、問題はあなた自身なのである。今や、この謎は明らかである。

 問題はヨブが行ったことでは全くなく、ヨブが何者であるのかだったのである。ヨブ自身が間違っていたのである。彼は神の前で自分を裁いたことが一度もなかった。彼は自分自身の内に死という判決を持っていなかった。それを説明するヨブ記の章は二九章である。二十五の節の中に人称代名詞が四十八回現れる。

 彼は善人だった。しかし、彼はそれをあまりにも意識しすぎていた。そして、自分の魂の真の状態について、神の御前における自分の内なる生活について、深い暗闇の中にあった。そして何ものも、彼の深い苦しみ、彼の友人たちの非難、自問自答も、彼に自分自身を見るようにはさせなかった。

 しかし、彼が神に関する知識から神との個人的面識へと移った時、絶望以外に述べるべきことはなかった。

 「私はあなたのことを耳で聞いていましたが、今は私の目であなたを拝見しています。それゆえ、私は自分自身を忌み嫌います。」

 自己の無価値さと欠点を真に実感させる神の啓示が、このヨブの経験の本質であると私は思う。

 彼が真の自己意識に到達したのは、自己に関して自分で考えたことによるのではないし、自分の内なる生活の謎を解明しようと努力したことによるのでもない。神御自身の幻が、彼の内なる存在に押し寄せて、自己を卑下して憎むようにさせる幻をもたらしたのである。


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