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パウロはどのように祈ったのか

 パウロが諸教会のために、たいへんな生活のただ中で、いかに激しく祈ったのかを見て下さい。彼の手紙は祈りで満ちています。エペソ人、ピリピ人、他の信者たちのためのパウロの祈りを見て下さい。他者のために神のみこころの中で祈る方法を知りたければ、これらの祈りを祈りなさい。あなたが知っている神の子供ひとりひとりのためにこれらの祈りをささげることは、常に安全です。これらの祈りを祈る方が、あなた自身のいかなる言葉よりも優れているにちがいありません。その時、神のみこころの中で求めても大丈夫でしょう。なぜなら、神のみこころがそれらの中に込められているからです。

 また、パウロが自分自身のために求めていること、自分自身のための嘆願も見て下さい。そうすれば、パウロが抱えていた必要は今日の神の僕たちの必要にいかに触れるものなのかがわかるでしょう。ああ、神があなたに祈りのこの働きに関する深い知識を与えて下さいますように。このために自分自身を神にささげることのできない人は、あなたたちの中に一人もいません。どれくらい時間を費やすべきでしょう?時間?何と、一日中なのです。しなければならない仕事があるので、そんなことは到底無理です、とあなたは言います。しかし、隙間時間について考えてみなさい。あなたはそれらの隙間時間を祈りで満たして、キリストの教会のために黄金の宝に転じることだってできたはずなのです。

 パウロが自分自身のために何を求めたのか、短く見てみましょう。ローマ一五・三〇「兄弟たちよ、私は主イエス・キリストと御霊の愛によって、あなたたちにお願いします。私のための神への祈りの中で、私と共に奮闘して下さい」。さて、彼自身のための祈りにおける、パウロと聖徒たちとの的確な協力が、ここに示されています。彼は「私と共に奮闘して下さい」と言いました。他者のために祈りの中で「奮闘する」方法をあなたはご存じでしょうか?二人の人が祈るとします。一人は熱心で、神に向かう深い目的を持っています。他方は一方が熱心なのと同じくらい弱々しく、目的も、強さもありません。こんなでは「共に奮闘している」とは言えません。この団結した祈りの中で「共に奮闘する」方法をあなたはご存じでしょうか?


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ペンテコステにおける祈り

 ペンテコステの時の教会と、祈りに対する使徒の姿勢に再び戻ると、どのように彼らにとって祈りが働きだったのかがわかります。この御霊に満たされた教会に問題が生じました。そのただ中で使徒は、「私たちはこの問題を正すことに専念しましょう」と言ったでしょうか?いいえ。そうではなく、「私たちは祈りと御言葉の務めに専念しましょう」と言ったのです。

 初期の教会は祈る方法を知っていました。彼らはペテロのために牢獄の扉を開く方法を知っていました。彼らは嘆願を携えてヘロデのもとには行かず、「ただちに熱心な祈り」に専念したのです。これは、エリヤやモーセと同じくらい「効力がある」祈りでした。ここで使徒たち――聖霊でバプテスマされた人々――は、「私たちは祈りに専念しましょう」と述べています。これは私たちの生活の中で果たすべき「働き」を命じるものではないでしょうか?

 私たちは、祈ってこなかった諸々の事柄に関して責任があります。私たちはあまりにも次のように考えてきました。すなわち、祈りは朝の半時間、特別な機会、時、場所を意味するものである、と――祈りの集会ですら、半数の人は神に対して正しくなるために、あるいは、もっぱら自分たちの個人的必要のために行きます。自分自身の個人的成長のためだけに絶えず「祈り」に行っていたなら、エリヤはあのような力強い、効果的な祈りをできたでしょうか?祈りは働きであること、どの祈りも何事かを成し遂げなければならないことを、私たちが理解しないのも不思議ではありません。

 国家全体に対するエリヤの祈りの働きと、選ばれた国民のためのモーセの祈りの働きを、私たちは見てきました。今、教会のための、そして個々の信者のための祈りの働きにおける、パウロの例を取り上げることにしましょう。まず、パウロ自身、手紙を宛てた聖徒たちの祈りを、どのように懇願したのかを見て下さい。彼は聖霊で満たされていたにも関わらず懇願したのです。彼は神を知っていましたが、それでも涙を流さんばかりに、神の子供たちに自分の執り成しの生活に加わってほしいと、自分の奉仕と戦いに共にあずかってほしいと嘆願します。私たちは説教壇を祈りによって守ってこなかったのではないでしょうか?あなたは自分の牧者のためにどれだけ祈っているでしょうか?今日の悪鬼どもの教理によって逸らされてしまった説教者のために、どれだけ祈ってきたでしょうか?教会内の悲しむべき事柄についても、私たちに責任があります。なぜなら、目を覚まして祈っていなかったからです。すべての聖徒とすべての神の民のために祈るべきことを、私たちの多くは知りませんでした。特に危険な立場にあるすべての人のために粘り強く祈るべきことを、私たちの多くは知らなかったのです。


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高く上げられたモーセの手

 しかし、この同じ章には、まったく異なる祈りのもう一つの面が示されています。アマレクがイスラエルに敵対して攻撃しました。その時、モーセは主に向かって「叫び」ませんでした。なぜなら、なすべきことがわかっていたからです。神の杖を取って、彼は丘の頂上に立ち、両手を高く上げました(九~一五)。その間、ヨシュアは谷に行って、敵と戦いました。モーセの両手が下がるとアマレクが優勢になり、彼が両手を上げ続けるとイスラエルが優勢になりました。何をモーセはしていたのでしょう?疑いなく、神の民を攻撃しているアマレクの背後にいる、目に見えない敵に対して彼の両手を上げていたのです。

 これを理解するには、聖書が明確にこう述べていることを思い出さなければなりません。すなわち、神がこのような裁きによってこれらすべての諸国民を対処したのは、彼らが礼拝している神々と戦っておられたからなのです。聖書全体を通して、偶像崇拝は悪鬼崇拝であることが示されています(特に一コリ一九、二〇を見よ)。カナン人の神々の背後には悪魔的勢力が控えています。今日、偶像が崇拝されている土地もみな同じです。

 偶像を崇拝する異教徒がイスラエルを攻撃した時、モーセは主に向かって「叫」ばずに、丘の上に立ち、アマレクの背後にいる超自然的勢力に対する神の力を表す杖を上げました(エペソ六・一〇を見よ)。

 ここでは、ですから、これらの出来事によって描写されている、祈りの二つの面が示されています――一つは嘆願の面であり、モーセが主のもとに行って、「主よ、彼らに水を与えて下さい!」と民のために訴えたことに示されています。もう一つは神と共に敵に対抗して立つ面であり、これは彼が両手を上げた姿勢を取った時のことです。前者では、水を得るために何をなすべきか、神は彼に示されます。しかし、戦いになったら、姿勢はすっかり変わります。そこで、彼は丘を探して、両手を上げました。

 私たちは、「モーセよ、どうしてあなたは行って、谷の中で戦わないのですか?」と言うかもしれません。しかし、彼はこう答えるでしょう、「私は戦っているのです――ヨシュアは下の方で肉や血を対処していますが、私は上のここで別の何かを対処しているのです。私の手には神の杖があります!」。そして、この不屈の抵抗の立場の中に、勝利が完全なものになるまで、モーセはとどまらなければなりませんでした。それは嘆願の働きのように容易な働きではありませんでした。なぜならそれは、勝利を得るまで長引く苦難を意味したからです。この章の終わりに、モーセの行動に対する鍵が、「主は私の旗である!」という言葉の中に示されています。神の杖を持って両手を上げることにより、モーセは見えない敵に対して旗を上げていたのです。

 これは祈りの働きの二つの面に関する印象的な絵図です。エリヤにおいて、全土に対する彼の祈りの、縛り、解く力を見ます。そして、モーセにおいて、敵の力を「縛ること」と、主の民の必要のために水を解くこととを見ます。


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縛り、解く祈り

 エリヤに関してヤコブが述べている祈りの二つの面があります。それにキリストは地上におられたとき言及されました。すなわち、祈りによって地上の物事を縛ったり、解いたりすることです(マタイ一八・一八)。エリヤは天を閉じ、そして天を開きました。祈りのこの力について述べて、主イエスは言われました、「あなたたちが地上で縛るものはなんでも天でも縛られ、あなたたちが地上で解くものはなんでも天でも解かれます」。文脈からはっきりとわかるように、これは縛り、解く祈りです。なぜなら、主は続けて言われたからです、「もしあなたたちのうちの二人が同意するなら(中略)それはなされます」。

 私たちは今や奉仕において次のような地点に達しています。すなわち、私たちは神のための働き人として、神を知り、この類の祈りを知る地点に達しなければならないのです。私たちはまだ今日の必要を満たす祈りの地点に達していません。「天が雨を降らさないように彼が祈ると、三年間雨が降りませんでした」。次に、簡単にこう述べられています、「そして彼が再び祈ると、天は雨を降らせました」。このような途方もないことに関して、ヤコブはこれしか述べていません。彼は「何と素晴らしいエリヤ!」とは述べていません。聖書の中に誇張表現はありません。あるのは、誇張ではなく、穏やかで壮大な全能を伴う、冷静な記述です。神が壮大なことをする時、彼はそれらを静かに行われます。それは、「祈ると、天が開いて、雨を降らせた」この人に応えて、彼がそうなさったようにです。

 エリヤについて短く見たので、祈りのこの効果に関する、いやむしろ、「効果ある」祈りに関する別の絵図を見ることにしましょう。モーセと、出エジプト記一七章における彼の「縛り、解く」働きを見ることにしましょう。イスラエルは切実に水を必要としていました。そして、この必要により、彼らはモーセを批判し始めて言いました、「モーセが私たちをエジプトから連れ出したのです。今、私たちに水を与えて下さい」。モーセはただ神のもとに行きました。民の必要のために「彼は主に叫び」ました。すると、主は彼になすべきことを語られました。「私はそこであなたの前に立ちます(中略)あなたはその岩を打ちなさい。すると、そこから水が出てきます」(六節)。モーセがそうすると、水が出てきました。民の必要を満たすこの祈りの面では、モーセの叫びと神の応答に特に注意して下さい。


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「聖徒たちの祈り(中略)火を(中略)地に投げた。」(黙八・三~五)
「あなたたちが得ることがないのは、求めないからです。」(ヤコブ四・二)


 もし神の子供たちの間に祈りの復興があったなら、すぐに教会外の世界に祝福の「復興」が生じていたでしょう。私たちは賢明な祈りについてほんの少ししか知りません。それは宣べ伝えの「働き」のような大いに明らかな働きに道を譲っています。次にヤコブ五・一六の改訂訳に向かいましょう、「義人の嘆願は大いに効力があります」。

 祈りによって成就される働きがあります。しかし、それは「義人の嘆願」でなければなりません!転嫁された義によって義であるだけでなく、罪への姿勢において、そして個人生活においても義でなければなりません。効力のある祈りには一つの絶対的条件があるのです!祈る人は勝利の個人生活を送らなければなりません。ですから、最初の問いは、「もし勝利の祈りを理解・了解したいというなら、あなたは勝利の個人生活を送っているでしょうか?勝利の個人生活を送ることを願っているでしょうか?勝利の個人生活を送る決意をしているでしょうか?」というものです。勝利について語りはするものの、勝利の条件を満たそうとしない人が大勢います。

エリヤはどのように祈ったか

 ヤコブが述べている例では、祈りがどのように効力を発揮したのかを見ることにしましょう。使徒はエリヤに言及して「エリヤは私たちと似た性情の人でした」と述べ、次に続けて彼の祈りの効力を示します。エリヤに可能なことはあなたにも可能である、と言わんばかりです。「雨が降らないよう彼が熱心に祈ると、雨は降りませんでした」。この人には天を閉ざす力がありましたが、それでも「私たちと似た性情(改訂訳欄外)」の人でした。彼の祈りの効力は、天が雨を降らさないよう彼が祈ると、まったく雨が降らないほどのものでした。

 国全体に対して天が閉ざされるよう祈れるとは、たいした「働き」です。私たちはこの祈りの働きの可能性を理解してきませんでした。祈りは多くの人にとって、自由な時間が少しある時にするべきものであり、そうは言っても稀にしかありません。しかし、祈りは決定的働きであり、地上でなされるべき他の奉仕よりも、その結果は重大かつ壮大であり、偉大なものなのです。ただし、それは人が祈る方法を理解していればの話です。

 エリヤ――私たちと似た性情の人――はこのように祈り、その祈りによって国全体に影響を及ぼせるほどの働きを成し遂げました。

 私たちがなす必要があるのは、このような祈りの可能性に対して自分の心を開いて、神を知るという明確な目的を定めることです。それは、私たちがエリヤのように祈れるようになるためです。ここに、喜んで学ぼうとするすべての信者に対する、途方もない可能性があります。もしあなたが神を知ることを学ぶことができて、なにがしかのことがなされることを神が望んでおられる時に神の御心を知ることができれば、あなたはエリヤのように祈れます。エリヤは神を知っており、神のみこころを知っていました。それで、イスラエルに対して効果的に祈れたのです。あなたも同じ方法で国全体に、実に全世界に影響を及ぼすことができます。ただし、それはあなたが神のみこころを知っていればの話です。なぜなら、神のみこころにかなった祈りは「大いに効力がある」からです。


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