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目を覚まして祈る

 目を覚まして祈りなさい!目を覚ましていることと祈ることのこの場合の意味は、祈れるよう目を覚ましていることであり、あなたに祈りをやめさせるものに警戒することです。私たちは「~ないように」しなければなりません。「サタンが優位にならないように」。私たちの方で防止・阻止して、悪魔の策略に立ち向かわなければならないことがわかります。ごく普通の自然な出来事についても、その中に何らかの凶器、私たちから祈りを奪う敵の狡猾な策略がないかどうか、私たちは新たに問わなければなりません。この必要なもの、この不可欠な祈りの生活を阻むものは何でしょう?結局のところ、これは立場を明確にすべきものなのかどうか自問しましょう。この問題について問いただしましょう。この方面における敵の戦略的活動に対して私たちの側でもっと警戒しなければなりません。それは私たちの武器を盗まれたり、その威力を失ったりしないようにするためです。これはさらに鳴り響かせるべき警鐘であると私は確信しています。あなたの戦いの武器、あなたの祈りの生活、あなたの御言葉の生活を奪い去ることに向けられている敵の策略に警戒しなさい!


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 どうか主が、敵の策略に対抗して立つ必要性を、再び私たちの心に強調・力説して下さいますように!なぜなら悪魔の策略は、私たちが送っている祈りの生活に反対することに向けられているだけでなく、さらに豊かな祈りの生活と神の御言葉の生活を私たちに送らせないようにすることにも向けられているからです。これを繰り返すのを忍んでください。なぜなら、それが必要だと私は確信しているからです。敵が自分の道を得る時、あなたは祈りの生活を送れなくなることがわかります。敵は考えうるあらゆるものを何でも、天然のものも超自然的なものも、祈りを阻止するために祈りに割り込ませようとします。また、あなたの神の御言葉の生活に割り込ませようとします。これらは私たちの戦いの二つの強力な武器です。機先を制せない立場に私たちを置く敵の手段を知り、目を覚ましている必要があります。使徒は「私たちは彼の手段を知らないわけではありません」と言いました。敵がしようとしていることを知ることが戦いの半面です。ああ、祈りと私たちの御言葉の生活を妨げるために、数々の物事がしばしばやって来ます!それらの物事はいたって自然な方法で、いたって控え目なさりげない方法でやって来るため、まさに自然に生じた類のものであるように思われます。それらは自然なものであり、おそらく、私たちの生活に起きるべくして起きたものと見なしてしまいます。しかし、二、三週間たつと、自分の祈りの生活がなくなったことに気づきます。どのようになくなったのでしょう?敵が威嚇したわけでも、何らかの明確な方法で割り込んで「このことやあのことでお前たちの祈りの生活を損なってやる」と告げたわけでもありませんが、なぜなそうなってしまったのです。


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 この未装備の状態は、神の御前における霊的不名誉と地位の喪失を意味します。主の民に付けられている名称がこれらの章で変わっていることに、あなたは気づいたでしょうか?「ヘブル人」と呼ばれる時もありますし、「イスラエル」と呼ばれることもあります。詳しく見ると、主の御霊は、彼らがペリシテ人の側にある時は「ヘブル人」、そうでない時は「イスラエル」と呼んでおられることがわかります。彼らがペリシテ人の側にある時、「イスラエル」――神の皇子――というこの名の威厳を彼らは失います。彼らがあちら側にない時、恵みにより、神は彼らを「イスラエル」と呼ばれます。たとえ彼らが弱さの状態の中にあり、彼らのあるべき姿に遠く及んでいなかったとしても、そう呼ばれます。しかし、ペリシテ人は常に彼らを「ヘブル人」と呼びました。彼らがペリシテ人の手の中にある時、主はこの名が通るのを許されます。「神の皇子」としての彼らの威厳はなくなりました。私たちを神の皇子にするものは何でしょう?それはこの祈りの生活であり、この御言葉の生活です。敵が私たちの祈りの生活と私たちの御言葉の生活を私たちから奪う時、私たちは私たちの威厳、私たちの地位、私たちの優位性を失います。これは経験と一致しないでしょうか?もちろん、一致します!最初に救われた時、私たちはおそらくこれを教わったでしょう。しかし、敵は特別な特定の働きをしており、決意をしています。それは、私たちに祈らせず、また、神の御言葉に行かせないためです。それは、霊的戦いと戦争というこのいっそう広大な領域に関してであり、この領域に主の証し全体が関係しています。またそれは、神の民のこの「進んだ地位」に関してであり、この地位にあって彼らはクリスチャンとして地から逃れ、キリストのからだの肢体として天上に入ります。この祈りの生活とこの御言葉の生活を食い止め、阻止し、挫折させ、損なうことによって、敵は直ちに教会とその肢体たちの士気を霊的にくじき、彼らから彼らの優位性を奪います。


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敵の戦略

 この戦略の狙いは、戦いの前に主の民を実質的に打ち負かすことでした。彼らの武器は没収され、生産性を上げる手段は取り除かれ、破壊されていました。

 これは狡猾な戦略でしたし、確かに敵の主要な戦略の一つです。神の民の実際の歴史のこの出来事の中に、神の証しの敵が常にどのように働こうとしているのかの暗示を見ることができるのではないでしょうか?私たちの前の黙想で見ましたが、神の民の武器はもっぱら祈りと御言葉です。これをこの特別な文脈に当てはめると、敵の主要な手はこの二方面で私たちの機先を制することであることが、ただちに明らかになります。次のことを覚えておくことは、私たちにとって決して小さなことではありません。敵は軍勢を動かすのを戦闘の時まで待ちません。むしろ、その予想時間のずっと前に働くことを常としています。敵にとって、そうしないなら致命的だったでしょう。同じことが私たちにも言えます。実際に状況に対処しようとすると、装備がないことに気づくことがよくあります。前もって主要装備が私たちから取り去られていたからです。その緊急時に、装備を得るための施設もありません。そして、大きな必要・機会の時に無力なため、私たちは苦い教訓を学びます。特別な要求や必要が何もない時でも、私たちは継続的かつ強力な祈りと御言葉の生活を維持しなければなりません。ただこれによってのみ、特別な必要が生じる時、私たちは抜かりなく霊的に装備されているでしょう。


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聖書朗読:士師七・一~七。一サムエル一三・二~七、一九~二三。エペソ六・一七~一八。

 祈りについての私たちの黙想の終わりにあたって、さらに述べる必要がある一、二のことがあります。それらは上に挙げた聖書の節と大いに関係しています。

 サムエル記第一の一三章と一四章の内容を集約すると、その状況はまさに以下の通りです:民を公に代表しているサウルは、神を信じる信仰の量がほとんどマイナスの状況にあります。その結果、恐怖が支配し、至る所で人々は震え、悲惨なことに団結・一致に欠けていました。敵が優勢です。人々は何もできません。なぜなら、敵の戦略的行動により、戦争の武器はすべて取り去られ、鍛冶場は破壊されていたからです。このような状況のただ中で、神を信じる信仰を持っている人が少なくとも一人います。そして、彼の信仰により、彼はこの支配的状態に果敢に立ち向かいます。ヨナタンは依然として深く神を信じています。そして、それゆえ、現状を非難するだけでなく、それに対して積極的かつ能動的に立ち向かうことによってそれを拒絶します。こうして彼は、ほぼ全般的衰退の時代に、敵勢を打倒するための神のささやかな道具となります。彼は、とても広範に及ぶ霊的弱さと不安のただ中で、一つの証しを立てます。このような事例が聖書中に、また、聖書時代以降の教会史中に散りばめられていることがわかります。この物語には、意義深い、特に注目すべき二つの点があります。一つは敵の戦略です。


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