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使命感と奉仕の精神の動力

 使命感、責任感の助けについて一言述べて終わることにします。私たちがその中にあるものの偉大さに関するこの感覚を私たちが持ってさえいれば!聖霊を受けた者として、私たちは価値ある者、重要な者でなければならない、という新たな感覚を私たちが持ってさえいれば。なぜなら私たちが聖霊を受けた理由は――私たちが価値ある者となるためだからです。これが私たちに関して重要です。これが私たちに関して重要なのは、私たちに対してではなく、状況全体に対してです。これに関するしかるべき感覚を私たちが持ってさえいれば、私たちはどれほど救われることでしょう!もし私たちの姿勢が「私は重要ではありません、役に立ちません」というものなら、間もなくどのような結果になるでしょう?惨めな人生です!

 最近、私は自己憐憫に関する記事を読みました。その記事では、ある女性が精神科医の助けを求めた顛末について述べられていました。「私は神経衰弱に罹っています」と彼女は言いました。精神科医は多大な労を惜しまずに彼女の来歴を分析し、慰めとなる助言の言葉を与えてくれると、彼女は明らかに期待していました。しかし彼は言いました、「親愛なる御婦人、家にお帰りなさい。あなたの玄関の鍵を回して、鉄道を渡った先にあるあの貧民街に向かいなさい。そして、助けを必要としている人を見つけて、仕事に取り掛かりなさい。そうすれば、あなたは決して神経衰弱にならないでしょう!」。

 この言葉には多くの神聖な良識がこめられています。私たちは与えることによって拡大されます。与えることによって私たちは何も失いません。私たちが増し加わるのは与える道、外に向かう道によります。そうです、「主の働きに常にあふれていなさい」。常に外と調和しなさい。奉仕の精神に促されて、どこにいても役に立つ者、助けになる者となるよう努めなさい。聖書を腕に抱えて、集会に行って語る用意をするだけでなく、実際的方法の限りを尽くして主の子供たちに対して霊的・物質的助けとなりなさい。これこそ、私たちを惨めな存在から救うだけでなく、私たちを広げてくれる道です。

 これはとても実際的ですが、大いに真実です。御霊が私たちに与えられているのは「益となるため」です!聖霊は生来の私たちがなりえないような価値ある者に私たちをならせることができます。もし私たち自身の状態のまま、私たち自身の天然の手腕、賜物、能力のまま――あるいはそれらに欠けたまま――放置されていたなら、私たちの多くは今頃どこにいたでしょう?私たちは全く何の役にも立っていなかったでしょう。なぜなら、私たちには何もないからです。しかし御霊は見事に私たちの欠け目を補って下さいます。私たちの欠点を実際に益にして下さいます。御霊の助けにより、私たちはみなこの戦いの役に立つ者となることができます。そうならなければなりませんし、そうでなければなりません。


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 第三に、聖霊は御旨のままに賜物を賜ります。つまり、彼が主権者なのです。自分がこの軍隊の中で何をするのか、どんな地位を持つのか、どんな働きをするのかを決めるのは、あなたでも私でもありません。それは聖霊の権限です。私たちがすでに引用した節の結論でパウロが述べている言葉を思い出しさえすればいいでしょう(一コリ一二・一一)。それは御旨のままに分配される聖霊の賜物に関する言葉です。あなたも私も、ですから、私たちの生得権として、「聖霊は私たちを何らかの方法で資格付けて、この偉大な軍隊で機能を果たす者にしなければなりません」と要求するべきです――これは「補給係将校が規則的に分配する靴紐」のような者であれ、あるいは、遥かに重要と思われる者であれ、そうなのです。とはいえ、戦闘中の兵士に靴紐がなければ、それは確かに深刻な問題です!

 私が言わんとしているのは、もちろん、次のことです。これらはすべて必要であり、全体にとって不可欠なのです。自分の仕事はあまりにも小さな仕事である――重要ではない、と言ってはなりません。それは重要なのです。確かに、一本の「靴紐」に至るまで全体にとって重要なのです。あなたや私が行っている仕事や、与えられた仕事の性質によって、その重要性が決まるのではありません。その重要性は全体に対する関係によって決まります。重要なのは個人の重要性の問題でもありません――あなたや私ではありません。私たちが帯びうる重要性は、全体に対する私たちの関係に由来します。ですから、私たちはこの問題に関して調整が必要です。

 私は堅く信じています。聖霊は何らかの方法で、この戦いの中で極めて決定的な機能を果たすよう、各肢体、各人を資格付けて下さるでしょう。なぜなら、この「多様性の中の単一性」においては、すべてが大いに関係しあっており、すべての肢体が重要だからです。


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聖霊:十分な、必要不可欠の、主権を有する御方

 さて、まず第一に、次のことを理解するよう努めましょう。聖霊はこの一大軍事作戦に必要なものをすべて理解しておられます。つまり、彼は必要な領域をすべて網羅しておられるのです。彼御自身がすべての班、すべての部門、すべての職務のための供給、原動力、能力です。彼はすべてを理解しておられ、必要なものを何一つ見落とされません。彼はすべてを網羅されます。これを別の言い方で述べると、聖霊の中にこの軍事作戦全体――そのすべての部門や詳細――のために必要なすべての才能、能力、賜物があります。彼が教会に与えられているのは、そうした一切のものになるためです。

 しかし、次の段階は以下のことを理解することです。すなわち、聖霊が各自に個人的に与えられているのは、各々をこの一大軍事作戦で機能させるためなのです。この戦いの役に立っていない者、この戦いに必須の存在ではない者、実際に有効ではない者、何らかの方法で貢献していない者が、キリストの中に一人たりともいてはなりません。もしそのような「機能していない肢体」が存在するなら、何かが間違っています。なぜなら、御霊の現われが私たちに与えられているのは「益となるため」である、と御言葉は述べているからです(一コリ一二・七)。「各自に与えられているのは全体の益となるためです」とコニーベアの訳ではなっています。つまり、私たちを包括的な益と利得の一部とするためです。もし私たちがこの戦いに必要不可欠な存在でないなら、聖霊が何らかの方法で私たちによって妨害され、阻止され、邪魔され、妨げられていることを意味します。聖霊に対する私たちの関係の中に何か問題があるのです。


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B.単一性の中の多様性と多様性の中の単一性

 効果的に効率よく戦う軍隊は、何と多くの多様な機能から成っていることでしょう!活動と手段の両方に関して、それに付随するものや補うものはほとんど無限にあります。軍隊の中には、多数の明確な「予備軍」や支援軍があります。私たちがよく知っている主な部門のいくつかを考えてみて下さい。補給のための軍事戦務部には、電気や機械に関する技術者たちがいて、設置・修理・建設をすべて行います。兵站部は、調査・地図作製・経路指定等、とても様々なことを行います。給与部はとても重要であり、人々が自分たちの分や権利を受け取るよう配慮します(そうすることは極めて重要です。この領域で不満が生じると、組織全体がひっくり返ってしまうかもしれません!)。諜報部については、たったいま述べました。医務部は健康、治療、介護、その他の多くの任務といった問題全体を取り扱います。ここには多くの、多くの機能があります。さらに、これらの主要な部門の中にも外にも、ほとんど無数の細目があります。それらの細目は別の人々に委ねられており、そのすべてが必要不可欠です。

 ここにこの本からの本当に素晴らしいささやかな段落があります。そこでは素晴らしいことが述べられていますが、陸軍大将が述べている点がさらに素晴らしいです。なぜなら、これは次のことを示しているからです。すなわち、この最高責任者は一切の大きな責任と重い地位と名声にもかかわらず、極めて細かな点をも見落とさなかったのです。自分の責任を自覚し、自分の振る舞いや態度が及ぼす効果や影響を自覚している最前線にいる人について、彼は述べています。彼は続けます。「しかし、路上で働いている人は中々気づかないだろう。遥か後方では、事務官が軍需品集積場の在庫を確認しており、電話交換手はこつこつと電話を繋ぎ、清掃人は単調な仕事を果たし、補給係将校は整然と靴紐を支給しているのである。これらの人々や他の多くの人々にとって、自分たちもまた重要であることを理解するのは、さらに難しいだろう。あなたは軍隊の五十万人の中の一人かもしれないが、あなたの単調の任務は計画全体の一部であることを理解しなければならない。そして、それとあなたの上に何がかかっているのかを理解し、それを行うことに誇りと満足を覚えなければならない」。

 私が言わんとしていることはお分かりでしょう。単一性の中の多様性――多様性の中の単一性です。多くの御言葉が心に思い浮かびます。「賜物は多様ですが、同じ御霊です(中略)唯一の同じ御霊がこれらすべてのことを行います」(一コリ一二・四、一一)。単一性の中の多様性と多様性の中の単一性というこの問題について、パウロは多くのことを述べています。主は教会の中にそれが見い出されるようにされます。


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(2)知性は行動に導かなければならない

 私たちの結論の二番目の点は、私たちの知性、私たちの知識の後に、行動が続かなければならないということです。単なる理論的知識ではなく、実践的知識でなければなりません。私たちは聖書の中に霊の戦いの理論をすべて持っているのではないでしょうか?創世記から黙示録までにその計画全体があります!しかし、私たちはそれを適用しているでしょうか?それを適用しているでしょうか、それともそれはただの理論でしょうか?その後に行動が続いているでしょうか?それとも、ある状況が生じるとき、私たちが持っている理論はすべて何の役にも立たないのでしょうか?私たちを助けてはくれないのでしょうか?私たちは自分たちの知識を適用・実践しなければなりません。知識は行動に導かなければなりません。

(3)敵が引き起こす無気力さに対して目をさましている必要性

 第三に、敵が特別に関心を寄せているのは、神の民の霊的知識が増し加わらないようにし続けることです。この言葉は領域の大部分を網羅します。主が御自身の子供たちに何らかの特別な霊的知識を分け与えようとされる時、大抵、彼らの上に奇妙な無気力さが臨みます。この種の無気力さは時として邪悪なことがあります。それはたんなる疲れや疲労以上のものです。見たところ何の理由もないのに、それは突然私たちの上に臨むように思われます。神の子供たちが、この無気力感に屈服して、そのような時に家にとどまっていたことで、必要不可欠なものを奪われてしまうのを、私はこれまでの長い経験でよく見てきました。

 私たちは家にとどまりたがる傾向を天秤にかけて、判定しなければなりません。家で静かに一人でいることが主からである時もあるかもしれません。しかし、敵に完敗を喫して何かを奪われていないかどうか、注意しようではありませんか。ああ、神の民は何と無警戒なことか!それによって何という損失を被っていることか!確かに、悪魔は無気力さを生じさせたり、何らかの困難、何らかの障害、何らかの環境を生じさせたりします。それは阻止するためです――何かの折りにあなたがそこに確実にいないようにするためです。そうなるとトマスのように、主が来られる時にあなたはそこにいないことになります。これは挽回するのが容易ではない損失であること、後日何らかの敗北を現実に喫することになりかねないことがわかるでしょう。来るべき状況に必要なものを主は備えて下さって、そこにあったのです。起きていることの意味に注意せず、環境や出来事を額面通りに受け入れたせいで、あなたは何らかの霊的益を失ったのです。これは何と重要でしょう!「知識から知識へと至る」よう私たちはどれほど目を覚ましていなければならないことでしょう!パウロが述べている通りです、「祈りと嘆願の限りを尽くして祈り(中略)そのために目を覚ましていなさい……」(エペ六・一八)。

(4)光で照らす務めに対する敵の反対

 最後に、神の民を霊的に強くする務めに対する反対は、サタンのきわめて明確な働きの一つです。この言葉の背後には多くの歴史があります。主を知るいっそう豊かな知識と、彼の教会に関する彼の御旨についての理解を与える務め――私が考えているのは個人的な務めだけではありません――や他の何らかの手段が起こされるとき、その務めだけでなく、その務めの手段、その務めの媒体や器、その務めの場所までもが、すべてサタンの断固たる反対の対象となるのです――それはそれを滅ぼし、打ち倒し、崩壊させ、麻痺させるためです。何らかの方法で――どうにかして――務めのその手段を滅ぼすためです。これに対して私たちがよく気を付けることができていれば!


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