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 私たちがこの油塗りの下にある時、それは私たちを私たちの主イエス・キリストとの一つの中にもたらすので、「自分の働き」に関して不安に思う状態に陥る必要はありません。聖霊が介入して、私たちが主の委託の下で行動すべきときと――私たちに臨む明らかな欠乏と圧迫にもかかわらず――引き下がって待つべきとき――その欠乏を満たす主の時がまだ来ていないからです――とを示して下さいます。

 「この油塗りがすべてのことについてあなたたちを教えます」。これは私たちの生活で何度もそうだったのではないでしょうか?例えば、困難な状況が生じて、問題を解決しなければならないとき、私たちはその必要に応じるよう求められます。さて、私たちは不安な状況に取り組みますが、自分の考えや計画はどれも役に立ちません。何をすべきかわからず、光もありません。しかしそれを主に手渡す時、主に信頼して、キリストが私たちの知恵と力になって下さると信頼する時、光が臨んで、私たちは――自分自身では決して不可能ですが――必要な助言を与えられるようになり、急所に触れることができるようになります。それはまさに啓示によって臨みます。「その時、あなたたちは語るべきことを告げられます」という経験は真実です。聖霊が私たちに与えられているのは、私たちが彼を通して、天におられる私たちの主とのゆるぎない直接的交わりの中に絶えず立ち続けるためです。私たちが自分の知性で物事にあたり、自分自身の手腕に頼ったり、状況を見たりし始めるやいなや、私たちは自分の手に余る、自分では対応できない責任を引き受けることになります。その結果、私たちは心配になり、不安や恐れを感じるようになります。「何をすべきか教えて下さい」と他の人々に尋ね始めます。外側からの何らかの助けを求めてあたりを見回し、こうしてますます天然の世界――それは天の事柄に関して私たちを助けることはできないことを私たちは知っています――の領域の中にますます入り込んでしまいます。しかし油塗りの下に居続けるなら、私たちのなすべきことはみな、完成された働きの一部にすぎないことを、私たちは確信します。

 それを損なおうとする試みが主イエスの生涯に何と多くなされたことでしょう。彼の生涯は危険に囲まれていました。彼が公の務めに踏み出すやいなや、彼を殺害しようとする者たちが働くのを私たちは見ます。彼がナザレのシナゴーグに入られた時、そのような試みがなされたことを、御言葉は私たちに告げます。人々は彼の言葉に憤慨して、彼を彼らの町の丘の崖に連れて行って突き落とそうとしました。しかし、彼は彼らの真ん中を通って行って彼らの手から逃れ、彼らの試みは失敗しました。油塗りのおかげで、彼の時が来る前は、一日たりとも彼を損なうことはできませんでした。神は彼の生涯を定めて、まさにその「時」に至らせました。「私から私の命を奪う者は誰もいません。私は自らそれを放棄します」。油塗られたものと、油塗りの下に居続けることとによって、働きが成就されます。私たちもまた、神が生活の中で私たちを召された働き、そのために神がキリストにあって私たちを任命された働きを成就できる、と確信できます。「私たちは彼の傑作であって、諸々の良い働きのためにキリスト・イエスにあって造られました。この諸々の良い働きを神はあらかじめ備えて下さいました。それは、私たちがそれらの中を歩むためです」。私たちの人生を完成させる完全な責任を取ってくれるのは油塗りであることを知るのは、何と力強い慰めでしょう!ですから、私たちは油塗りの下に居続けさえすればいいのです。


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 さて、主イエスに言えることが私たちにも言えなければなりません。私たちを油塗っているのは同じ御霊です。この世が荒野であることを私たちは見るようになりました。私たちの天然の資源を手放して、神との直接的交わりにより、全く神から出ている生活を送るよう私たちは召されています。神の事柄では天然の資源を用いることはできません。この世も私たち自身も、神のために何も生み出せません。しかし、次の積極面を強調することにしましょう。すなわち、油塗りの御霊はすべてを可能にするのです。聖霊、すなわち私たちが受けた油塗りは、私たちをキリストとの一つの中にもたらします。キリストが御霊により御父と一つだったのと同じように、私たちも同じ御霊によりキリストと一つとされています。これは素晴らしい合一です!これは、私たちを通して御業を成し遂げるために主御自身が御業をなさっていることを意味します。

 私たちが述べたいのは、神御自身が御業をなさるということです。私たちがそれをなそうとしても無理です。御業をなせるよう私たちを助けて下さい、と彼に求めるのは大きな間違いです。もしそれが主の働きなら、それをなしているのは彼です。彼は御自身の働きを決して私たちの手に渡されません。主は御自身の働きをあなたや私にお与えになりません。職人が自分の道具を用いるように、私たちは彼の雇人にすぎません。道具は「何をなすべきか」と考えることは決してありません。それはその主人の手に自らを委ねます。彼には計画があります。彼には技能と力があり、道具は職人の考えを表現しているにすぎません。責任は彼にあります。道具に許されているのは、主人が自分の道具を通してなしたいことをなすことだけです。道具が朝起きて、あれこれしようと決意し、「主人が自分を助けてくれたらいいなあ」と望んでいるのを想像してみて下さい。これは正しい態度ではありません。次のような態度を取って、こう述べる道具について考えましょう。「さて御主人、あなたは自分がなそうとしていることを御存知です。あなたには計画があります。働く方法も、それをなす時も、あなたは御存知です。私はここにおりますので御自由にお使いください。あなたが何をよしとされるにせよ、私は喜んであなたに仕えます。私はあなたとあなたの目的に捧げ切っています。私たちの前にある働きに関して、私はあなたを仰ぎ見ます。あなたが私の背後で知恵、力、忍耐となって下さらなければなりません。もし私の切れ味が鈍るようなことがあれば、私を再び研いでいただいて構いません。すべてはあなたにかかっています。しかし、私はあなたと一つです」。

 これはこの真理のとても単純な絵図です。これがまさに主イエスの御父との関係でした。彼は言われました、「私の父は今に至るまで働いておられるのですから、私も働きます」。彼が働かれたのはただ、彼の父が働かれたからでした。彼はまた言われました、「父が私に与えて下さった働き(中略)その同じ働きを私も行います」。彼と御父とを結ぶものは聖霊でした。彼はあの素晴らしい一つを生み出されました。今、私たちはこの同じ油塗りの下にあります。この油塗りは、あらゆる責務――私たちはそれに召されており、適切な時にそれをなさなければなりません――に応じる保証です。


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 キリストとの天的合一の中にある生活――そこではすべての資源が天的性質のものでなければなければなりません――の基礎は何でしょう?その答えは「その基礎は聖霊である」ということです。

 イスラエルがエジプトから分離されて、荒野の中にもたらされた時、神は彼らに昼は雲の柱、夜は火の柱をお与えになりました。その雲は聖霊の型です。荒野における四十年は、イスラエルの生活が全く聖霊に支配されるようになったことを象徴します。主イエスのもとに来る時、私たちはこの実際を見ます。彼の場合、これがいかに真実だったのかを見ます。彼が公生涯に踏み出された時、神は彼の特別な務めのために彼を分離されました。彼は聖霊の油塗りの下に入られました(ルカ三・二二)。その瞬間から彼の全生活は聖霊によって統治されました(ヘブ九・一四)。

 荒野の中で天的生活を送ることを望むなら、聖霊が必要不可欠です。聖霊はまさにその目的のために与えられています。聖霊を通して、キリストが肉体の中におられた時にそれによって生活されたのと同じ資源を、私たちは自由に用いることができます。次の事実を理解することがとても重要です。すなわち、私たちの主イエス・キリストは自発的に私たちの立場を受け入れたのであり、人のような様を取って、あらゆることで神に拠り頼む者の立場を取られたのです。もし私たちがそうするなら、私たちは聖霊によって統治された生活を送ることを喜ぶようになるでしょう。キリストが御父の中に生きて御父の栄光を表されたように、それによって私たちの主イエス・キリストの栄光が表される生活を送ることを喜ぶようになるでしょう。ですから、これがキリストに対する私たちの関係です。天的生活の基礎は聖霊です。主イエスは聖霊の中で生活されました。この御霊によって彼は御業をなしておられました。彼は常に、そのあらゆる道で、聖霊によって支配されつつ行動されました。人の影響下で動いたり行動したりすること、環境によって押し出されることを、彼は拒否されました。聖霊が彼の中で証しすることだけ、彼は行われました。彼の勝利の生活の秘訣は聖霊の統治でした。


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 「さて(中略)イエスもバプテスマされて、祈っておられると、天が開け、そして聖霊が鳩のような具体的な形で、彼の上に下った」ルカ三・二一~二二。

 「…聖霊があなたたちの上に臨む時、あなたたちは力を受けます」使一・六~八。

 「あなたたちは聖なる方から油塗りを受けているので、すべてのことを知っています。(中略)あなたたちが彼から受けた油塗りがあなたたちの中に宿っています」一ヨハ二・二〇、二七。

 信者の人生で最も大事なことはキリストを学ぶことです。「彼の中に神たる方のすべての豊かさが肉体のかたちをもって宿っています」。この豊かさは私たちのためです。なぜなら、「彼にあって私たちは満ち満ちている」からです。そして私たちの豊かさであるキリストは栄光のうちにおられるので、それゆえパウロはエペソ人に「ほむべきかな、私たちの主イエス・キリストの神また父。この方はキリストにあって、天上にあるあらゆる霊の祝福をもって、私たちを祝福して下さいました」と書き送っています。これは、私たちは天上におられる私たちの主イエス・キリストにあってあらゆる霊的祝福をもって祝福されていることを意味します。これは、主イエスとの私たちの関係は天的関係でなければならないことを意味します。私たちがキリストとの天的合一の中に入る時だけ、私たちはこれらの天的祝福にあずかることができます。

 さてすでに見たように、私たちに対するキリストの十全性を経験的に知るには、まず私たちの生活の中に荒野がなければなりません。荒野におけるイスラエルの生活は古い性質からの完全な分離、この地上の外側にある資源への徹底的依存を意味しました。荒野自体は彼らに何も与えませんでしたし、彼らの天然的能力はみな、そのような場所では何の役にも立ちませんでした。しかしこれらの状態が与えられたのはまさに、荒野を彼らが特別な方法でキリストを彼らの十全性として学ぶべき場所とするためでした。キリストは天から下って来た生けるパンです。彼は命の水です。「彼らについてきた霊の岩」はキリストでした。

 ですから、再び強調しましょう。キリストを豊かに知るには、世とそのすべての資源が役に立たず、完全に排除されなければならない地点に、私たちは達しなければならないのです。

 すでに指摘しましたが、イエス・キリスト御自身はこの立場を受け入れられました。彼は自発的に信仰に基づいて生きることを選ばれました。御父に全く拠り頼むことを選ばれました。彼は御父なしでは全く何も行えませんでした。彼自身には何もなく、すべてを御父から引きだしておられました。これは私たちの黙想のもう一つの消極面です。さて、積極面に向かうことにしましょう。


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 牢獄にいた時、これをパウロは経験しました。自分が彼の立場だったら、と想像してみて下さい!現世の祝福から切り離され、諸教会における彼の働きは終わったように見えました。自由は奪われ、肉体的にもこの世的にも確かに必要を抱えていました。彼の状況は、まったく憂鬱なものでした。彼の処刑は差し迫っていました。そのような時に、「ほむべきかな、私たちの主イエス・キリストの神また父。この方は天上にあるあらゆる霊の祝福をもって、私たちを祝福して下さいました」と彼は書き始めます。彼は「荒野」の中にいますが、キリストという礎に基づいて生きています。ですから、彼は勝利でした。

 そして、彼はキリストを大いに学んでいたので、今日に至るまで無数の信者に対する祝福となることができました。彼の数々の手紙に向かう時、私たちはそのページから常に新たな祝福を受けます。イエス・キリストの富が、その僕パウロを通して、私たちに豊かに流れ込みます。パウロはキリストを知っていました。しかし、その生涯の背後には霊的荒野がありました。つまり、天然が助けにならない領域があったのです。ですから、「私たちはこの宝を脆い土の器の中に持っています……」と彼は記します。脆い土の器――これは私たち自身の天然という荒野です。「私たちの外なる人は朽ちて行きます」。パウロは天然の人という荒野の中で、自分自身に対するキリストの十全性を学びました。

 ですから、信者の最大の課題はキリストを学ぶことであることがわかります。これは私たちを霊的な力と豊かさの地位にもたらします。これは勝利と実り豊かさの人生を送ることを意味します。

 この荒野を持たない多くの人々がいます。彼らは自分自身の力で主のために働きます。このような人々は主イエスを知りません。彼らはキリストを学びません。しかし、もし私たちが自分の生活の中で主にその地位を与えるなら、もしかすると主は私たちを荒野にもたらされるかもしれません。それは、主が彼の豊かさを私たちに啓示するためであり、私たちがキリストとその十全性とを学ぶためです。

 どうか主が、私たちの貧しさを私たちに示し、そして彼の豊かさを私たちに啓示するために、これらのメッセージを用いて下さいますように。


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