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 有益で価値があるのはこの道であり、この道だけです。聖霊が御自身の地位を得る時、彼は物事を促進されます。彼はその家をもたらされます。執事職、分与、経済、天の秩序をもたらされます。そして、そうなる時、それはとても幸いなことであり、あなたは「これは私が取り組んできた教えの体系ではありません。これは主が私に示して下さったことです」と言います。これが道であり、唯一の生ける道です。御霊の中を歩むなら、真に御霊の中を歩むなら、先に進むにつれて、あなたは次のことを見い出すでしょう。すなわち、あらゆる種類の調整がなされるのは、主がそれらをあなたに示されるからなのです。あらゆる種類の物事が除かれたり導入されたりするのは、主が語っておられるからなのです。彼は神の家を治める御子であり、そのような者として彼はこの天の経済、この天の秩序を導入しておられます。それは慣習ではなく証しを持つためです――霊的・天的な諸原則を体現するものを持つためです。

 これは多くの人にとってお馴染みの立場ですが、この文章を読んでいるすべての読者にとっては同じようにそうではないかもしれませんし、もしかすると、主がこの言葉を語ろうとされたのかもしれません。そうです、執事職としてのキリストとの合一です。神の家の中に聖霊が造られる案配、神の家を治める御子としてキリストが生じさせられる案配があります。それは天的案配です。それは新しい心を意味します――「神の諸々の奥義の執事」とパウロは述べました(一コリ四・一)――新しい心、物事に関する新しい観念です。あるいは、ペテロはこう述べています、「めいめいは賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い執事として、あなたたち自身の間で供給しあいなさい」(一ペテ四・一〇)。「神の様々な恵みの家僕」。これは意味を違えている、と思うなら、文脈を見て下さい。その直前の御言葉は「互いにもてなしあいなさい」となっています。「めいめいは賜物を受けているのですから、それにしたがって、神の様々な恵みの良い『家僕』として、あなたたち自身の間で供給しあいなさい」。

 それは天的な観念をもたらす新たな心――天に向かう心――を意味します。アダムはすべてのものに――動物や花のことだと思います――名前を付けた、と御言葉は述べています。(きっと、彼はラテン語の名前は付けなかったでしょう。どうかパラダイスにラテン語がありませんように!)彼はすべてのものに名前を付けました。私の要点はこうです。私たちはすべてのものに天的な名前を見つけなければならないのです。主が物事をどう呼ばれるのかを見い出さなければならないのです。主は物事を特定の名で呼ばれます。私たちはその周囲を巡って他の名で呼びますが、主は「いいえ、そうではありません。それはこうです。あなたはそれを違う名で呼んでいます」と仰せられます。私たちは物事をその正しい名で呼ばなければなりません。物事に正しい天的な名を付けなければなりません。主はある特定の美徳を柔和さと称されますが、私たちはそれを弱さと呼びます。物事に正しい天的な名を付けなさい。そうすれば、あなたは為すべき多くのことを持つようになるでしょう――それはとても広大な世界です。


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 配偶はこれよりもさらに少し進んでいて、他の一つの特徴が加わるように思われます――というのは、配偶には交わりに関して今述べたことが確かに含まれている一方で、互いに補い合うことだからです。すなわち、互いに欠けているものを補い合い、互いに相手に貢献しあって成就しあうのです。これはとても素晴らしいと思います――なぜならエペソ書の中の「キリストの豊満」(エペ一・二二)という言葉は、キリストを「補うもの」、キリストを「満たすもの」、キリストを「完全にするもの」とも訳せるからです――教会がキリストに何かを与えてキリストを「完全にする」というのは驚くべきことに思われます。そう述べるのは異端のように聞こえますが、それでもそう述べられています。彼は教会の中に一つの嗣業を持っておられる、と明らかに述べられています。「聖徒たちの中にある彼の嗣業」とは何でしょう?それは教会が彼に与えるべきものです。それが何か述べるのをやめる気はありません。主は教会のことを御自身に何かを与えることができるもの、御自身に何かを供給することができるものとして御覧になっています。これは事実を述べたものです。ある機会、好機、器、手段、道――他では得られないけれども彼が得なければならないものを教会は彼に与えるのです。私たちがこの地上にいるのは、キリストのために彼が地上で必要としておられるものになるためです。彼は私たちに何でも与えて下さることに関しては、言うまでもありません。

 ですから、配偶は互いに益を及ぼし合い、満たし合い、互いに補い合うことです。これが夫婦の合一です。これが結婚についての天的観念です。


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交わりと配偶

 これを二、三の単純な、自明と思われる点にまとめることにしましょう。最初のアダムの最初の夫婦関係という絵図・型に沿って、これに注目して調べることにします。そして、「これに関する神の御思いは何だろう」と問うことにします。そうするなら、それらの御思いを、あらゆる関係の中で最も幸いな関係の中にあるキリストと教会、キリストと私たちに適用することができます――確かに、これはキリストとのすべての関係の中で最も幸いな関係です。神の御思いは何だったのでしょう?

 まず第一に、聖書が示すところによると、神が女を創造してこの合一を生み出そうとされたのは配偶のためでした。「人が一人でいるのはよくない」(創二・一八)。これに尽きます。しかし、それには豊かな内容があります。これをキリストと教会に適用するのはおこがましく思われますが、それでも、キリストに対する教会の関係――教会はキリストの妻です――には、これを確証・証明する多くの他の要素や特徴があります。これはこれだけではありません。旧約聖書の中には花嫁の型がとてもたくさんあり、その思想をキリストと教会に適用するに足る十分な証拠に満ちています。それらがキリストと教会を指し示している証拠や証しがふんだんにあります。今はその学びに取りかかるつもりはありませんが、確かにあります。証拠はたくさんあります。ですから、おこがましく思われるかもしれませんが、私たちはこの点を私たちの主との私たちの関係に適用することができます。すなわち、教会を神が創造されたのは、御子の益を促すためであり、御子のために配偶を願ってのことだったのです。

 地上におられた時の主イエスを見ると、彼がどれほど交わりを求めておられたのかを見落とすことはありえません。おそらく、彼が語られた最も悲しい言葉の一つは――「あなたたちは(中略)私を独り残すでしょう。しかし、私は独りではありません。父が私と共におられるからです」(ヨハ一六・三二)という言葉です。これによって彼の発言が弱まったり相対化されるわけではありませんが、「私は独りです」という彼の言葉には悲しい響きがあります。彼が常に配偶を求めておられたことは自明です。彼は人であり、他者の必要を感じておられました。それは神聖なものです。キリストは交わりを求めておられます――「交わり」というこの言葉を取り上げる新約聖書の方法は素晴らしいです。これは何と豊かな言葉でしょう!自分のコンコーダンスを調べてみてください。そうすれば、「交わり」というこの言葉の原語がわかります。そうするだけでも豊かな学びと黙想になります。確かに、とても貴重な経験になります。「あなたたちは御子の交わりの中に召されたのです」(一コリ一・九)。

 これは、まず、夫婦の合一、配偶もしくは交わりの思想、観念を表しています。第一に、配偶に先立つ交わりは交わりにすぎません。この関係の最初の調べ、支配的調べはまさに交わりです。

 交わりとは何でしょう?交わりは生活と目的の一体化です。キリストは生活と目的が御自身と同じ人々、御自身の心と一つ心である人々を望まれました。あなたや私はそのような関係の中に召されました。あなたや私が主イエスに、御自身の生活や目的と一体化した人々を求める深い心の願いと願望を起こさせなければならないとは、高遠なことであり、聖なることであり、貴いことです。今述べるのはこれだけですが、これが夫婦の合一の意義の第一歩です。


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 さて、ここで教会とキリストとの間の夫婦関係というこの問題について、おそらくもっとはっきりとわかるでしょう。パウロはローマ書の中で、私たちは別の方、「死者の中から復活させられた方」と結婚したと述べています。しかし、小羊の婚宴は未来のことです。「小羊の婚宴に招かれている者は幸いです」(黙一九・一九)。これは将来のことであり、特別な祝福がそれに付随しています。

 神の諸々の意図を支配する一つの条件付きの要素があることがわかります――その条件付き要素は、神が行って与えて下さり、そして私たちをその中にもたらして下さったすべての事柄に対する目的の実現と関係しています。常に「条件」があります。そして、この条件は法的地位とは全く関係ありません。コリント人たちはキリストの中にある法的地位に関しては何の問題もありませんでした。第一の手紙はそれに関する記述――「キリスト・イエスの中で聖別された」――から始まります。彼らは法的地位については何の問題もありません。彼らはキリストにあって救いを要求することができます。しかし程なく、使徒は彼らに書き送って、条件付きの事柄について述べ始めます。基礎の上に築かれたこの建物、そして基礎の上に置かれたあらゆるものについて語り始めます。しかも、それはみな煙となって上って行き、信者は何も持たずに天に行く羽目になりかねないというのです。コリント人には法的には何の問題もありませんでした。この法的基礎の上に立っていたいなら、あなたはキリストにある限り天に行くことができます。しかし、他にもそれ以上のものがあるのであって、それ以上のものを失いかねないのです。

 もしそうしたいと思うなら、この関係にもこれを適用して下さい。法的に結婚している多くの人がいますが、ただそれだけのことにすぎず、それ以上のものは何もありません。彼らはその法的地位のゆえに特定の権利や特権を持っていますが、誰がそこにとどまることを望むでしょうか?誰がそれで満足するでしょうか?それにはそれ以上のものが無限にあります。そしてそれが、初期的のものと最終的なもの、法的なものと霊的なものとの違いとしてここに示されています。確かに、この二つの間にはとても大きな違いがあります。あるいは、天然の関係と同じように、この違いには段階があるかもしれません。この関係の幸いさは大きかったり小さかったりするかもしれません。クリスチャンに関しても同様です。主とのこの夫婦関係の祝福は大きかったり小さかったりするかもしれないのです。


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法的合一と霊的合一

 キリストとのこの特別な合一、すなわち夫婦の合一には二つの面・役割があることにあなたは気づいたと期待します。ローマ人への手紙の中でパウロが言及した面と、彼がエペソ人への手紙の中でまたヨハネが黙示録の中で言及した面があります。一方は婚姻がすでになされたと述べており、他方は将来のことであると述べています。これは食い違っているように見えます。あなたはこれをどう説明するでしょうか?

 矛盾のように思われる多くの他の事柄に関する新約聖書の説明方法と全く同じ方法で説明することができます。ローマ書の初期的婚姻と、エペソ書と黙示録の最終的婚姻があります。違いは、初期的婚姻は法的であり、最終的婚姻は霊的であるということです。この一連の前の学びで述べたように、新約聖書の中の様々な事柄には、初期的面と最終的面の二つがあります。前に子たる身分について述べました。私たちは子ですが、それでも子にならなければなりません。法的に、私たちはすでに子ですが、さしあたって霊的にそのような者にならなければなりません。それは嗣業を所有するという意味です。「もし子なら、相続人でもあります」。私たちは新生によって法的相続人です。しかし、確かに、自分の嗣業を所有していませんし、キリストの中にある自分の嗣業をすべて享受しているわけでもありません。自分の嗣業を真に所有・取得・享受するには、今生よりも遥かに長い時間、来るべき代々の時代が必要でしょう。

 救いについてまさにこのような仕方で述べられています。私たちは救われていますが、なおも救われなければならず、将来救われることになります――それは未来形で述べられています。しかし、現在形でも明確に述べられています――私たちは救われつつあるところです。この類の事柄に関して多くの人々が多くの問題を起こしてきました。彼らは「新約聖書の中には救いを未来形で述べている箇所もあるのだから、天に着くまで自分が救われているかどうか決してわからない」と言います。私たちはそうだとは思いません。なぜなら、それは私たちの経験ではないからです。自分が救われていることを私たちは知っています。しかし、自分は救われなければならないことも私たちは知っています。その間に私たちを救われなくさせる何かが入り込みかねない、ということをこれは意味しません。それが示しているのは、他の多くの文脈に見られるように、私たちの立場と私たちの状態、法的地位と霊的地位の違いに他なりません。

 後で、神の家について述べることにします。今、私たちは霊の家です。これは現在形です。しかし、こう記されています――「もし私たちの望みの確信と誇りとを最後までしっかりと持ち続けるなら、私たちは神の家なのです」(ヘブ三・六)。ここでもまた、私たちは後戻りさせられて、何かを取り消さなければならないかのように見えます。しかし、これは全くそういうことではありません。


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